2008-10-02

2008/09/22 (月) 久々の飲み屋

 この日は診察日だった。実は先月からこの日は、このままK都に泊まって、飲み屋に行こうと決めていた。

 飲酒に関しては春先に、時々自主解禁する事に決め、先生にもそう宣言していた。それでも検査に響いてはいけないと思い、診察日から3~4日は缶ビールを楽しんで、次の通院日まで禁酒をしている。なので、最近では、次の通院日が、ある意味、楽しみで待ち遠しくなっている。しかし、再度(再々度か?) 肝機能(liver function)の悪化の兆候が出始めたので、ビールは通院日の1日ないし2日位に減らしていた。先月は更に悪くなる気配がみられ、これ以上悪くなる様なら、またしばらくの間、飲めなくなるな(飲まない方がいいな)と思ってはいる。その一方で、一晩飲み歩きをしてみたいとずっと思っていたので、これ以上肝機能が悪くなる前にと、今回実行に移したのだ。

 退院後「飲める様になったら、どこか飲みに行きましょう」とずっと誘ってくれていた友人がいる。底なしの酒のみである。その人に先月メールをして、飲み歩きに付き合って貰う事にした。時々自主解禁して飲酒している事も、私の現在の状態等も伝えてあり、それを承知の上で飲みに行きたい旨を伝えていた。そして宿まで予約して通院に来ていたのだが、今回こんなに上がるとは思わなかった(昨年末に比べると上昇具合はまだ緩やかではあるが……)。肝臓の為を考えるのなら、先月の診察日に合わせて飲みに行く計画を立てた方がまだしも良かったのかもしれないが、こんな勢いで数値が上がると思っていなかった。

 診察後、先生には、今日は飲みに行く事にしていると報告したが、GOTもGPTも100前後なので、当然困ると言われる。そう言われるのは自分でも分かるのだが、検査値が倍増するとは想定外だった。「前回の時点で、次は良くなるか或いは(先月の状態で)現状維持する事に期待して、先月から飲みに行く約束をし、もう宿も予約して来ている」、と先生に伝えた。先生は「う~ん……」と小さく唸っておられたが、特に何も言われなかった(相変わらず不良患者ですみません)。

 さて、18時過ぎからK都の街へ繰り出し、かつて母やそのメンバーと飲みに行った事のある懐かしいビアホール、あるフィギュアスケート選手に似たマスターのいる立ち飲み屋、現代作曲家でロックギタリストでもある人の名の付いた怪しの居酒屋等を梯子(はしご)し、久々に楽しかった。梯子したと言っても、好きなだけ飲むのは自粛し、殆んどビールだけにして、強いお酒は飲まない様にしたが、6月の北海道一人旅の折、一人で飲んだビールよりもずっとおいしく感じた。ビールを一杯飲んでは次の酒場へというのが、とにかく楽しかった。

 昔はよく母と飲みに行ったものである(父もたまに連れて行ってくれる事があったが…)。今は亡き母は大酒のみであり、私がまだ未成年の頃から、色んな飲み屋に連れて行ってくれた。母の仲間達と宴会を開く事もあったが、皆よく食べ飲んだ。私は残念ながら母の様な大酒のみの“鉄の肝臓”を受け継がなかった様だが、母と飲むとか、皆で豪快に飲んで楽しむ、そんな飲み会が大好きであった。もちろん、家で一人酒も好きである(毎日好きなだけ飲んでいた)。

 私の主治医の方針では、「免疫抑制剤服用中は飲まない様に」で、私の場合は、退院後半年位で免疫抑制剤(immunosuppressant)の服用も終了するのではないかと考えておられた。私もその日を待ち望んでいた。そして、退院後に会う人の多くに「もう飲める様になった?」と聞かれるので、心置きなく飲める様になったら(つまりお薬から解放されたら)、いよいよ復帰時期かなと考えていた。しかし、減薬すると肝臓にGVHDと思われる反応が繰り返し起こるので、なかなか免疫抑制剤と“さよなら”する事が出来ないのが現状だ。
※今現在の心境としては、なかなか免疫抑制剤から解放されそうにもないので、今の最低量(25mg)で検査値が落ち着いてきたら、免疫抑制剤を飲みながらでも職場復帰出来たらよいかな、とも考える様になってきている。

 お医者さんによっては免疫抑制剤を服用していても飲酒は大丈夫という先生がおられる(但し飲み過ぎなければとの事だが)ので、せめて、「余り飲まない様に」と、方針を変更してくれないかと思うのだが、主治医から、はっきりとお許しが出ない。許可が出ないので、いくら(時々)自主解禁にしたとはいえ、心底おいしく飲む、という気分には至らない。それでも、たまに飲むビールはおいしく、とてもいい気分転換になる。

  今宵はよい酒であった。次の通院日も家で缶ビールを飲みたいものだ。その為にも、「次回の検査では、今度こそ、持ちこたえてくれよ、我が肝臓君!」と自分で肝臓を叱咤激励している。

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