2010-01-17

2010/01/ 17 (日) 現在の服用薬一覧

 現在処方(prescription)されている薬、時々使っている薬等を、また書き上げておく。尚、処方薬の量や使用限度量等は、あくまでも現在の、即ち骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)後1,165日目、退院後丸3年経った自分の体調等を基準にしたものなので、1つの参考と思って、見て頂きたい。

・ 『ネオーラル25mgカプセル(軟カプセル)』: 1日計50mg 
※免疫抑制剤(immunosuppressant)で、9時と21時に(つまり12時間おきに)各25mg服用。
※現在に到る迄のネオーラルの増減については『2010/01/ 16 (土) 退院丸3年 退院後のネオーラル処方の経緯』に書いたので、それを参照頂きたい。

・ 『ビクロックス錠200 (Vicclox Tab. 200)、200mg』: 毎朝1日1回1錠服用。
※帯状疱疹(ヘルペス;herpes zoster)予防薬として服用。これだけは1度の中断もなく飲み続けている。また、中止にしないでと先生に頼み込んでもいる。

・ 『プレドニン錠(Predonine) 5mg』: 1日計10mg 
※朝と晩の2回に分けて各5mg服用。朝と晩なので、ネオーラル(Neoral)服用に合わせて同じ時間に服用して良いと主治医から言われている。
※昨年、GVHD(移植片対宿主病;graft-versus-host disease)と思われる手のこわばり(stiffen)が悪化する一方なので、その改善薬として2009/8/24に処方されたステロイド薬(steroid)。
※現在服用で改善しているが、右指先の痺れだけは取れていない状態。次回通院時から減量開始を試してみようと主治医から言われているが。。。

・ 『マグミット(Magmitt)錠250mg』: 適宜。
※自分の判断(体調等)に任されている。
※便を軟らかくする薬で、1日6錠(計1,500mg)を限度として処方されているが、現在は、1日2回、各1錠(250mg)を昼食後と夕食後に服用している。今はそれで丁度いい感じである。
※プレドニンの開始後、軟便(soft stool)傾向が多くなり、また肛門の渋る感じが多くなり、一時、飲まなかったり減らした事があるが、便通が思わしくスムーズにならなくなった為、1日2錠に戻している。

・ 『ツムラ芍薬甘草湯エキス顆粒(医療用、顆粒剤)、No.68 (2.5g)』: 適宜。
※これも自分の判断に任されている。※こむら返り(twist、leg cramp)に対して、1日3袋を服用限度として処方されている。
※明け方にこむら返りを起こす事が多いが、強烈に起こる時や、日に何度もきつく起こる時等に、頓服として服用している(1日3袋を上限としている)。

・ 『フォサマック錠(Fosamac Tablet)35mg』: 1週間に1錠。
※骨粗鬆症(osteoporosis)予防(改善?) 薬で、毎木曜日、起床時1番にコップ1杯の水で服用 (30分間後から朝食をとる様に注意書きがある)。
※2007年12/6から始めた(途中短い中止期間はあったが)。
※フォサマック5mg錠ならば、毎朝、同様に服用するお薬である。

・ 『パリエット錠(Pariet) 10mg』: 毎朝1日1回1錠服用。
※ムカムカするという訴えに対し、2009年9月9日よりこれが処方されている。

・ 『リピトール錠(Lipitor) 5mg』: 毎夕食後1日1回1錠服用。
※コレステロール値(cholesterol)が非常に上昇した為、治療の為に2009年12月16日より開始。

・『ロキソニン(Loxonin)錠60mg』: 1日計3錠(180mg)。
※痛み止めで、昨年3/9の復職を前に、勤務を出来るだけスムーズに遂行出来る様にと主治医に懇願して3錠に増やして貰う。
※主治医からは出来るだけ飲まない様にと言われたが、出勤時はいつも3錠服用している。概ね先生の言いつけ通り、出勤日以外は2錠で我慢し、頸等の痛くて堪らない所には膏薬を貼って対処している。
※このところ、この痛み止めは特に効いている気がしなく、書きたくはないが身体中が痛く感じて堪らない。
※何かの感染症――現在なら新型インフルエンザ(A型 H1N1 influenza)――等に罹っていないか等、不安が生じた時に、念の為に断薬して、発熱(pyrexia、fever)していないかを、時々、自主的に確かめている。

・ 『イソジンガーグル(Isodine gargle)、7%、30ml』うがい液: 基本、1日3回毎食後。外出後等、適宜。
※サボりがちであったが、新型インフルエンザの大流行の為、少なくとも外出前後は必ずうがい(gargle)する様にしている。また、外出時は持ち歩く様にして、気になった時はいつでもすぐにうがい(gargle)出来る様にと心掛けている。
※復職後の出勤&帰宅直後にも必ずこれで直ぐうがいをして予防に心掛けている。

・ 『インサイドパップ(Inside Pap) 70mg』: 膏薬(plaster)で、適宜使用。
※2/16からカトレップパップがこれに変更されたが、白色大判肉厚な膏薬で、殆んどカトレップパップと違いは無い。

・ 『モーラステープ(Mohrus Tape) 20mg』: 膏薬(plaster)で、適宜使用。
※5/18から処方して貰っている。これはカトレップパップやインサイドパップと違って、薄手で肌色の膏薬。
※頸がかぶれてきた(rash;eru ption)ので、違うタイプをと処方して貰った。右手のこわばり(stiffen)や痛み・しびれ(numbness)が出て来た昨年8/10頃から肘や手の平に貼ったり、ハサミで適当な大きさに切って指1本1本に巻いていた。
※インサイドパップが最大5袋しか処方して貰えないらしい事から、これが無くなった時の為に備えて処方して貰っている。継続的にお願いしている訳ではないが。

・ (処方されてはいないが) アリナミン(Alinamin)等のビタミン剤(vitamin): 手持ちのビタミン剤を、特に出勤時は良く飲んでいる。
※これらのビタミン剤に関しては、先生に聞いてみた所、現在の処方薬の他に追加して飲んでも大丈夫と、一応お許しを得ている。

 その他、バクトラミン(Bactramin)は2009年4月20日に中止となり、ウルソ錠(Urso)は9月7日に600mgから300mgに減薬、10月19日に中止となった。先生が薬の量を減らそうとして、それぞれ中止となったのだが、2009年に新しく増えた薬は、プレドニン、パリエット、リピトールの3種類。プレドニン服用の影響で、残り2種の薬が増えたのだが、いずれプレドニンを零迄に減薬する過程で、これらは中止になると思われる。

  以上が、現在の処方薬である。

2010-01-16

2010/01/ 16 (土) 退院丸3年 退院後のネオーラル処方の経緯

 お陰様で、退院後丸3年となった。骨髄移植Day 1,165日になる。

 退院時の主治医の説明では、上手く経過すれば半年後に免疫抑制剤(immunosuppressant)のネオーラル(Neoral)を零に出来るだろうと言っておられたが、まだネオーラルを9時と21時に各25mgずつ服用中だ。先生の希望的観測は、免疫抑制剤の点では、上手く経過していないという所なのだろう。

 そこで、退院から今迄のネオーラルの増減をまとめておこうと思う。
・ 2007.01.16退院直後時点: 125mg/日 (朝75+夜50mg)
・ 2007.01.29時点: 100mg/日 (朝50+夜50mg)
・ 2007.02.27時点:  75mg/日 (朝25+夜50mg)
・ 2007.05.14時点:  50mg/日 (朝25+夜25mg)
・ 2007.10.01時点:  25mg/日 (朝25+夜 0mg)
・ 2007.10.30時点:  0mg/日 (朝 0+夜 0mg)
・ 2007.12.27時点:  50mg/日 (朝25+夜25mg)
・ 2008.06.02時点:  25mg/日 (朝25+夜 0mg)
・ 2008.10.07時点:  50mg/日 (朝25+夜25mg)
・ 2010.01.16の現在も50mgのままで、丸1年15週間経過
 2007.12.27と2008.10.07に50mg/日に戻っているのは、ネオーラル減量が原因で始まった肝機能値(liver function)の悪化が止まらなかった為である。ちなみに、昨年中頃に急に出始めた右手のこわばり(stiffen)が酷くなり、治療の為にステロイド(steroid)のプレドニン(Predonine)を2009年8月25日から10mg/日服用開始している。

 骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)を受けた人で、免疫抑制剤を零迄に減量した後、生涯飲まなくて済む人もいるというのだが、自分の場合、フルマッチの実姉からの骨髄移植だった為、主治医もそれを目標としておられたのだろう。

 自分はと言うと、移植前に色々と医者から説明を受けていたが、移植直後から起こり始める様々なGVHD(急性GVHD)を実際に体験し、退院前後から慢性GVHDと思われる症状が見られ始めていた。当然全てが未経験の事。それ故、免疫抑制剤が零になる頃には全て治まるのだろうと信じていたが、現実はそう簡単に済むものではなかった。しかし、もう後戻り出来る訳ではない。

 目下、私にとって免疫抑制剤減量は50mg/日が一つの壁となっている様だ。一方で、肝臓等の臓器移植(organ transplantation)の人は一生涯免疫抑制剤を飲み続けなければならないというのだから、薬を零にする可能性のある骨髄移植患者の自分は幸運と考える方が、精神的にもいいと考える様にしている。

 慢性GVHDも、時と共に一つ一つ良くなっていくと信じていたのだが、良くなる症状もあれば、思いもかけず急に新たに現れるGVHD(移植片対宿主病;graft-versus-host disease)もある。最近富みに体が痛く辛いという傾向が強くなってきている様にも思うのだが、通勤(勤務)を続けて来て疲れがたまって来ているのだろうと思う事にしている。

 免疫抑制剤を減薬出来ない原因は肝機能検査値不良なのだが、久しく改善しなかった肝機能値がステロイド効果で正常値に改善している。次回通院あたりからステロイドの減薬を開始しようと主治医から言われているが、それがきっかけでまた悪化する可能性は十分ある。心おきなく(??)お酒を飲めるのは今のうちだ。

  先ずは、無事にこの日を迎えられた事を祝おうと、畳んでしまったS学院の実家から持って来た、父の遺品のブランデーを開けて一人祝杯をあげた。何年振りだろう、ブランデーを飲んだのは…… とってもうまい。。。両親の写真にも乾杯して報告した。父も母も笑っている。。。ありがとう☆

2010-01-10

2010/01/10 (日) 復職してます、そして……

 2009年の日記で、ちょくちょく《社会復帰へのリハビリ(rehabilitation)》という表現を使って来た。回りくどい書き方をしてきたが、実は、昨春3月中旬に復職している。なので、2009年春以降のブログ内での《社会復帰へのリハビリ》というセリフを《出勤》に変えて貰えるといいかもしれない。
※ 当時、“復職”と書かないと決めた為、時折《社会復帰へのリハビリ》というセリフで表現してきたが、実際に復職した事を説明していない為、本当は書きたかった復職後の悩み等を説明しきれず、このブログでは省略して掲載しなかった事項も多い。

 復職は、週5日のフル勤務ではないという事もあるが、果たして、途中ダウンせずにちゃんと続けられるだろうか、という不安もあり、職場の人以外では、姉も含め殆んど誰にも知らせていなかった。自信が持てる迄は、安易に復職報告をしないでおこうと決めたのだ。

 自分の職種は、手先を使う細かい作業をする技術系、毎年契約更新という形で、週5日の裁量労働勤務をしていたが、病気で長期休職せざるを得なくなった。しかし、ボスは休職中も契約更新をしてくれ、戻る場所があるという事は、闘病中でも非常な励みになり、職場復帰の折は、是非ご恩返ししたいと思っていた。ただ、自分の休職が長引いた為、自分のポストには派遣ではなく、代わりの技術系職員を新たに雇う事になってはいた。

 休職も長期になってくると、ボスのご厚意に甘えてこれ以上休職延長するのも心苦しいという気持ちが湧いてきたが、どうしても体力その他に自信が持てず、休職延長届を、昨春も出したいと願っていた。しかし、その1年程前から、主治医が(自分の生活を考えての事でもあるのだが)もう復職を考えてはと勧め始めた。復職の決定打は、主治医が、見た目元気そうな私に対し「もういいんではないか?」と言って休職延長用の診断書を書いてくれなかった事である。

 主治医にも話したのだが、元気そうに見えるという事は、自分の病気を知っていてくれる人に対し心配を掛けずに済むという点で、非常に有り難い事である。「元気そうね」と言われ、敢えて「だるく、節々が痛み、しんどい」等とは言わず、「お陰様で」と答えれば、とても喜んで貰える。しかし、復職となると、話は別だ。仕事を任される以上は責任を持ってこなさなければならないので、途中でダウンする事態は避けたい。一番心配しているのは「本当は元気なのに、病気を理由にサボっている」と見られるのではないかという不安である。つまり、“痛み”や“だるさ”は見た目では分かって貰えないという事である。母もこの悩みをよく言っていたが、その時は頭で理解したつもりではいた。しかし、本当にこの辛さを知ったのは、自分自身がこの病気になって以降だ。身をもって体験しないと分からないという事は、こういう事なのかもしれない。

 主治医が診断書を書いてくれなかった為、復職する事になったが、ボスは産業医や事務と色々相談して最善の職場復帰を探してくれおり、週4日勤務という、新しく出来た勤務形態を用意してくれていた。ボスには事前に、始めは週3日位からなら、なんとかやれるだろうと伝えていたのだが、週4日の勤務形態でも、有給休暇と、給金が減る覚悟の上で欠勤も使えば、週3日で始められると分かり、何とか自分の中でも復職の覚悟が出来た。もうこうなったら発車オーライだ。

 さて、ボスにも伝えたが、当初の希望的予定としては、週3日で徐々に体を慣らして行き、週4日勤務に移行して、それが早く叶えば、10月の後期から元の週5日の役職に戻して貰えれば、と願っていた。しかし、実際勤めてみると結構体に堪え、殆んど週3日勤務状態から抜け出せないまま年末を迎えてしまった。なんとも不甲斐ない……。それでもなんとか年末迄、無事勤める事が出来たので、漸く皆に復職の報告をしようという気持ちになり、年賀状に書く事にした。内心、次年度は契約更新されない可能性があるとも感じ始めていたので、復職という、とてもいい報告材料がある今のうちに、という気持ちもあった。

 夏以降、特に右手のこわばり(stiffen)が始まって以降、日を追う毎に仕事が辛く感じる日が増え、休みの日は殆んど何もする気が起こらない事が多くなっている。年賀状も12月30日にやっとの思いで投函したのだが、姉達にはメールで、契約更新して貰えるかどうかは不明だという話も含め、詳しく書いて、大晦日に、他の人より、気持ち少しだけ早めに報告した。それでも姉達からはそれぞれ、私の復職を心底喜んでいるとの返事を貰った。実は少し緊張していたのだが、ほっとした。

 ところで、復職報告の年賀状を送ったので、今迄心配してくれていた姉達を含め、色んな方々に、何か内祝いみたいなものを1月中旬頃に送ろうと考えていた。このあたりなら、もう年賀状は届いているだろうし、また以前勤めていた頃の記憶では、契約更新のボスとの面談は、だいたい1月末から2月初めであったからだ。もし契約更新が叶わない場合、少し早目に言い渡される可能性があると考えてはいたが、1月中旬ならギリギリまだ契約の話も訊かずに済む。

 しかし、1月7日の夕刻、ボスから次年度の契約更新は無い旨を伝えられる。まさかこんなに早く通達されるとは思っていなかったので、覚悟していたとはいえ、不意を突かれた形で、かなり動揺してしまった。職を失う私に、次の職探しの時間が多い方がいいと思ってのボスのご配慮からかもしれない。

 最近、勤めがかなり辛く感じてきていたが、復職のお蔭で随分体力は付いたのではないかとも思っている。普段なかなかうまくコミュニケーションを取れないボスには、精一杯心からの感謝の気持ちを込めてメールをしたが、退職の折には、お手紙で、もう一度お礼を伝えたいと考えている。ただ、復職後のお礼返しの仕事が何も出来なかった事だけが残念である。
 
 さて、内祝いだが、これは入退院から現在に至る迄の感謝の気持ちを伝え、一旦心の整理しておきたいと、兼ねてから考えていた事なので、予定通り、今週末にでも実行するつもりである。退院してこのかた、入院する程の不調も無く経過していたが、昨夏急に右手が使えない位こわばる等という事が起こったりする。幸い薬でその症状が治まっているが、今後何が起こるか分からないと覚悟しておいた方が、気が楽でもある。そういった意味でも、無事に過ごしている今が、お礼返しをする絶好の機会だと思っている。

2010-01-04

2010/01/03 (日) 胸が……

 今年は短いお正月、最後の夜は、定番のお雑煮の後に、頂きものの見事な“にらみ鯛”を有り難く戴いていた。立派な明石鯛、とっても美味しい…… と言っても、この日は鯛の良い部分を全て後日用に取り分け、骨の周りの白身をこそげて食べていた。
 
 すると急に咽喉奥というか、また顎(口内?)のあたりが痺れ出した。そういえば先日の通院で、先生にこの痺れ(numbness)について報告するのを忘れていたな、と思う間もなく、時々起こる嚥下違和感みたいなのが咽喉辺りにも同時に起こり始め、『おかしい、小骨等はまじっていなかった筈だし……』、と悩もうとした。

  ところが、その症状に加え、胸の真ん中も痛み始めた。直ぐに止むのかと思ったのだが、顎の痺れ・咽喉の違和感以上に、胸の変な痛みが強くなってきて、少し焦りの気持ちが湧いてきた。『そういえば、今朝の血圧は下の値が少し高かった……、コレステロール値(cholesterol)はお薬で下がって来たけど、まさか心筋梗塞??!』

 今日はお正月3日の日曜日の夜だし、病院に電話しても主治医の先生も居られないだろうし、もしそれから先生に繋いで貰えるとしても時間がかかるだろうし。。。 瞬時に考ええつつ、だんだんと混乱してくる。

 この程度の痛みで救急車を呼ぶ訳にはいかないと思う一方で、万が一心筋梗塞(myocardial infarction)で救急車を要請する事態になった時は、退院間もなく主治医に紹介して貰った病院名を伝えなければ()、とか、もし心筋梗塞等の場合、果たしてそれを自分の口で伝えられるのだろうか、とか、色々な思いが頭をよぎったが、結局数分(10分位か?)で、漸く締め付けられる様な胸の痛みは治まった。
※ 今、通院している病院は、自分の住む町から70kmは離れているK都の大学病院なので、気軽に行ける距離では無い。その為、何かの時に直ぐに診て貰える病院を紹介して貰っている。

 未だ変な違和感が胸中心に残っていたが、胸の様子を見ながら、心筋梗塞の症状について調べてみた。ネット等で得た症状を読むと、心筋梗塞の症状は非常にきついらしく、どうやら違うらしいと思えた。むしろ、その検索で引っかかって来た、狭心症(angina pectoris)が近いかもしれないと感じられた。

 そして改めて考えてみた。独り暮らしなので、新型インフルエンザ(A H1/N1 influenza)に罹って万が一重症化した時に備えて、玄関等に緊急連絡先をメモし残しておこうと考えてはいた。しかし、体がしんどく億劫な日が多く、それをいい訳というわけではないが、未だその用意をしていない。そこまでしなくても、という思いがまだどこかにあるのかもしれない。というか、それを用意する行為自体が非常に億劫で、また自虐的な感じもして憂鬱でもあるからかもしれない。

 この病気に罹らなかった頃の自分なら、これ位の事ならそれ程は心配していなかっただろうし、きっと肋間神経痛(intercostal neuralgia)と思っていたかもしれない(※昔、肋骨辺りに起こった痛みに対し、母がこの名前を言った事に依るものもで何の根拠も無い)。しかし、今現在の自分は、自覚しようがしまいが、まだ、色んなリスク(risk)を負う状態なので複雑な気分だし、多くの人に心配して貰った事もあるので、最大限、自己管理をしておく必要があるとも思っている。気が重いが、やはり一応用意しておく必要があるのだろうと思う。

 さっきネットで調べた中に、心筋梗塞の緊急時に、バファリン(Bufferin)服用が有効らしいという情報を得たので、亡き母の薬箱からバファリン(81mgと330mg錠)を探し出し、念の為に財布等に潜ませた。バファリンと言えば通常鎮痛解熱剤だし、自分はアスピリン(aspirin)系のアレルギー(allergy)も無い。ただ、緊急時に自己判断で飲む訳にもいかないだろうし、果たして狭心症(又は心筋梗塞)なのかどうかも不明なので、次回先生に訊いてみなければならない。それ迄に万が一救急電話をする事態になった場合に備え、バファリンを持っていると電話口で伝えられる様にとの心づもりだ。自分で落ち着いて話せる状態ならばの話だが、備えあれば何とやらだ。

これが取り越し苦労である様にと願うが、早くコレステロール値を下げて、こんな要らぬ心配をしなくても済む状態にしたいものだ。

2010-01-03

2009/12/28 (月) 通院記録3 ステロイド薬を飲み忘れた時の注意点

 前回、免疫抑制剤のネオーラル(Neoral)を2回飲み忘れたと先生に報告した時、先生は何か体調に変化は無かったかと訊かれた上で、基本の薬なので、飲み忘れに注意する様にと言われていた。

 しかし、今度は12月4日に、夜の分のネオーラルとプレドニン(Predonine)の服用を忘れてしまった。その翌朝お薬を飲む時になって気が付いたものだから、半日経ってしまっている事になり、どうしようかと悩んだ末、飲み忘れ分はそのまま置いておく事にしたと先生に説明する。ネオーラルとステロイド(steroid)のプレドニンは、原則朝9時、夜9時の12時間間隔で服用する様に指示されている薬だ。

 ネオーラルは現在朝25mg+夜25mgを処方されているが、退院時と比べるとかなり量が少なくなってきている。その為か、先生は「ネオーラルの飲み忘れを半日後に気がついた場合、もう前日分はあきらめて飲まずにいてもいいですが、ステロイドは分量を厳密に管理しないといけないので、たとえ12時間経った翌日でも、今後飲み忘れに気が付いた時点で、プレドニンは飲み忘れ分もまとめて飲んで下さい」と言われる。

 ステロイドのプレドニンは現在朝5mg+夜5mg処方されているが、急な減薬をすると、折角抑えてきた症状が悪化する等の困った現象の起こる可能性があるので、半日経っていても、飲み忘れに気がついた時点で、飲み忘れ分もまとめて服用しなければならない、つまり、処方されたステロイドのプレドニンは、飲み残しの無い様、きっかりと飲み切るのが原則な様だ。
※ここに書いたステロイドの飲み忘れに関しての注意事項は、あくまでも私の場合の事なので、同様に飲み忘れた人の場合、自己判断するのではなく、各人の主治医に電話ですぐ相談して、どうするのかを決めて貰いたい。

2010-01-02

2009/12/28 (月) 通院記録2 前回(11/30)の蛋白分画の結果

 12回目となる前回11月30日の蛋白分画(protein demarcation)結果には、まだノッチ(notch)(▼マークの所)が付いていて、【βγ-グロブリン位にバンドが認められます】というコメントがある。つまりM蛋白(M protein;monoclonal protein)が検出されているらしい。

 右手のこわばり(stiffen)という症状改善の為に処方されたステロイド(steroid)のプレドニン(Predonine)を開始して丁度15週間目に当たるが、その頃から分画の結果は全て正常値内に収まってきている。しかし、そのグラフの形を見ると、正常な形とはだんだんと違ってきている。

 γ分画は、本来正常ならα1、α2、β値の山(順に②、③、④の番号の所)より高い筈なのに、しかも最近の検査値は全て正常値なのに、何故かノッチの付いているγの山(⑤)がだんだんと低くなってきている。検査値は正常なのに、グラフは変な形…… 先生も不思議に思いつつも、それをどう解釈するのかは、はっきりとは知らない模様。

 それにしても、ノッチが消える(M蛋白が検出されなくなる)事ってあるのだろうか? 多分、ノッチが消える日迄、この検査はまだまだ続くのだろう。

2010-01-01

2010/01/01 (月) 元旦 満月の部分月食

 大晦日から元旦にかけて満月だと言う。その元旦未明、部分月蝕があるという情報を得た。しかし、午前4時前後との事。果たして起きているかどうか不明なので、記憶だけに留めていた。

 さて、晦日の夜、前日に年賀状も書き終えホッとしたので、色々とやりたかった雑用をしたり、見たかったビデオを見たりしていて、いつの間にか深夜になっていた。寝ようと思ったのだが、あともう少しで部分月蝕の時間になっていたので、折角だから、元旦の月食観察する事に決めた。

 以前お月さんの撮影を、買ったばかりのデジカメで撮影してみた事がある。月の模様が白く飛びなかなかうまくいかなかった。大量に出回っている軽量のデジカメでは無理なのかと思ったのだが、姉のアドバイスを受け、こんなデジカメでも、月の模様を写す事が出来る事が分かった。

 問題は、その時どういう条件で撮影したのかをすっかり忘れてしまった事だ。あーでもない、こーでもないと試し撮りを何回もしているうちに、部分月蝕が最大になる時刻に迫って来た。

 幸いその時刻直前に、漸くそこそこのお月さんが撮れる設定を見つけた。その条件は、通常モードで発行禁止、ISOは100、下限シャッタースピードを1/250だ(AWB、F5.6)。もっと高性能のカメラならクレーター迄くっきり写るのだが、こんな手軽なデジカメでもここ迄写るというのは、なかなか面白い。

では、良い新年を☆