2007-07-31

2007-07-29 (日) 御手洗祭 

 日曜日に下鴨神社の御手洗祭(みたらしさい)に行ってきた。土用の丑の日に御手洗池の中に足をひたすと、罪・けがれを祓い、疫病、安産にも効き目があるといわれている「足つけの神事」である。両親の古くからの親友であり、私も幼少から可愛がって貰ったOZ夫妻に案内してもらって行く。夫妻は神社の近所に住んでおられるが、御手洗祭に行くのは何十年ぶり??だとか。ご婦人の方は随分足が悪くなられているので、一緒には行かれないかも、と思っていたが、電動のミニカーで「足つけ社」のすぐ近くまで乗って行かれ、そこからOZ氏の腕をとりながら仲睦まじく歩いて行かれた。いつの間にか世界遺産になった下鴨神社、こんもりとした糺の森の中にある神社だが世界遺産になっても、変わりなく静かに存在している事には非常に安心感がある。

 靴を脱ぎ(履物は入り口で渡されるポリ袋に入れて各自持っていく事になる)、ズボンやスカート、或いは浴衣の裾を膝辺りまで捲り上げ、御手洗池の手前で串に刺した小さなロウソクを貰い、いざ水に足を浸けたが、思った以上にとても冷たく、周りの参拝者も皆「キャッ」、「冷たい!」と声が上がる。

 水の底は丸い石が敷き詰められており、歩いていても全然痛くなく、とても気持ちがいい。ロウソクに火を灯すポイントが池の道の両側にあり、点けたロウソクの火が消えない様に気をつけながら、更に少しその冷たい湧き水の中を歩き、ロウソクを立てる所で串からロウソクを外して空いている所に立て、手を合わせて無病息災等をお祈りする。

 その後、石段を上って御手洗池から出、靴を履き、最後にこの神社の湧き水の接待を受ける。この水がまた何ともおいしい。先週の診察日の時KB先生に神社の湧き水を飲んでも良いかを訊き、大丈夫だと訊いていたので、器に口は付けない様にはしたが、安心して飲めた。ペットボトル等を持参すればその湧き水を入れてくれると聞いていたので、恥ずかしながら持って行ったボトルを差し出してお願いすると、溢れるほど一杯に入れてくれたので、思わず一杯笑みがこぼれる。なんだかとっても気持ちの良い、素敵な祭りである。

 そこで「水守り」という、御手洗池の湧き水が入った御守りがあり、普段こういったものは余り買わないのだが、振るとキラキラとしてとても綺麗で、『病難除』と書いてあったのも気に入り、つい買ってしまった(紐の色は全5色)。全てが良くなります様にという願いを込めて。。。

 『足つけ神事』を終えた後、OZ夫妻は神社の西側駐車場を出た所にあるお茶屋に連れて行って下さった。神社内の夜店でもみたらし団子が売られていて行列が出来ていたのだが、そこは出店だそうで、ここがその本店だとか(団子を作っている所は更にこの近くの別の所らしい)。店が近付くに連れ、大きな道路を挟んでいるのになんとも芳ばしい匂いが漂ってきていて、みたらし団子のお店だとすぐに分かった。昔からみたらし団子は大好物なので、大喜びで戴きながら、「みたらし団子と、御手洗祭って、同じ読み方しますよね」というと、なんと、この神社がみたらし団子発祥の地だという事を教えて貰い、ビックリしてしまった。まさか「みたらし団子」が御手洗(おてあらい)という字を用いるとは露知らず、また、長年京都に住んできていたが、ここが発祥の地だという事も初めて知った。ここのみたらし団子がおいしかったのは言うまでもない。

 この御手洗祭はお勧めです。機会がある方は是非行ってみて下さい。毎年土用の丑の日の前後4日間ほど、朝の5時半頃より、夜の10時半まで行なわれているそうで、夜が雰囲気が出ていて良いでしょう。

2007-07-25

2007-07-25 (水) リウマチ様関節炎について

 NHKの「ためしてガッテン」を見た。『あなたを襲うリウマチ』というテーマだった。退院後、リウマチ様関節痛(chronic rheumatoid arthritis)というかリウマチ様関節痛(rheumatoid arthralgia)が現われ始め、徐々にきつくなってきているが、私の場合GVHD(移植片対宿主病;graft-versus-host disease)と思われ、移植された血球(免疫細胞)が私自身の関節を攻撃しているという、リウマチ(rheumatism)と同じ現象が起こっている、といった説明を受けた。一向に良くならない(部位によっては悪化してきた)ので、やはり気になって見てみる事にしたのだ。

 TVで紹介されていた、リウマチの分類基準について、同HPから引用すると次の様になる。

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 現在多くの病院では、1987年米国リウマチ学会によって提唱された分類基準を参考にして、関節リウマチ(articular rheumatism)かどうかの診断をくだすのが一般的である。

1. 朝のこわばりが、少なくとも1時間以上にわたってみられる
2. 3つ以上の関節に炎症(inflammation)による腫れ(swelling)がみられる
3. 手首や手指のつけ根の関節、手指の第2関節に炎症による腫れがみられる
4. 左右対称の関節に炎症による腫れがみられる
5. 皮下結節(リウマトイド結節:rheumatoid nodule)が肘や膝などにみられる
6. 血液検査でリウマトイド因子(rheumatoid factor:RF)が陽性(positive)である
7. X線(X-ray)検査で手の関節に骨の萎縮などの変化がみられる
※ 1~4までの症状は6週間以上続くこと

上記の7項目のうち、4項目以上にあてはまる場合を関節リウマチとする、とされている。
※ 一部の病院では、1994年に日本リウマチ学会が提唱した「早期関節リウマチの診断基準」を使っている。
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 私の場合、6、7は検査を行なっていないので不明だが、外見上の腫れは見られないが動かすのも痛い。上記内の「炎症による腫れ」という言葉を「痛み」に置き換えると、1~4はほぼ当て嵌まる状態である。リウマチが世間で正しく理解されていない為に、たいした事は無いではないかとか、怠けているのではないかと誤解され、辛い思いをされているという患者さんのご苦労話が同感として私の心にも響く。

  リウマチは免疫(immunity;immunization)疾患で、原因不明。早期の段階で適切な治療を行なう事によって、現在の医療水準では関節の破壊を食い止めることが可能と言う事であった。私の場合は移植が直接の原因だと思われるが、もしこのまま重症になって関節の変形も起こり得るのならば、一度しっかりと、リウマチなのかそうでないのか等、リウマチの検査もして貰った方が良いのではないかと真剣に考えさせられる内容であった。その一方で、確か以前、リウマチの薬は免疫抑制剤で、今私が徐々に減らしてきているネオーラル(最終的に0にするのが治療の第一の目標)がそれに当たると訊いた。うまい事いかないものだ。

2007-07-24

2007-07-23 (月) 通院記録 肝炎と免疫グロブリンについて

 この2週間の体調は、各種関節痛、腰痛(lumbago;backache)がきつい日が少し多い。膝・足首等の動かすと痛く動かし難い。特に頸痛(neck pain)は更にきつくなってきている気がする。手の平の角(親指側と小指側)が慢性的に痛くなってきて、当たる(触れる)だけでも痛い。咽喉痛はマシになってきたが、歯茎痛は相変わらず軽くある。この1週間、便通は正常にある様になった。この2~3日、立ち眩み(dizzy)がする。倦怠感(malaise)があり、しんどい日が多い。血圧・体温は安定している。肝臓(右脇腹)はこの2~3日、痛い感覚がある。

 さて、肝臓の値の結果だが、不安をよそに、前回に引き続き今回も下がっており、漸く下がり傾向に転じた様であった。ロキソニン(Loxonin)の服用回数はと訊かれ、今回は頸等痛む事が多く一日に2錠飲む日が多かった(つまり前回より服用回数は増加気味)と答えたのだが、この事からも、ロキソニンは肝臓の値に影響はしていなさそうだという事になる。原因不明のままだが、改善に向かい始めたらしい、と言う事で、今回もこのまま様子をみる事になる。

 各種関節痛がきつくなっている事については、プレドニン(Predonine)等のステロイド(steroid)剤を飲めば、今の肝臓の具合も含め改善するのは確かなのだそうだが、代わりに感染症(infection)にかかる危険性が増加するし、せっかくのGVL効果(graft-versus-leukemia effect)も減じてしまうので、出来るだけ使いたくないといわれる。その為、もう少し我慢して様子を見てみませんか、といわれた。私は、GVL効果というのは理論上の言葉で、実際に起こっているかどうか調べ様がなかったのではないかと尋ねると、それはそうなのですが、との返答。

 ところで、肝臓の値が上昇し始めた頃、肝炎(hepatitis)の検査もして貰った(4/94/23)。B型肝炎(hepatitis B)について、HBs抗体は発病後6ヶ月以上経ってから出現する抗体(antibody)で、これが出来ると2度とB型肝炎には感染しないと本にあったのだが、入院当初(070327)は全て陰性、9月27日では91.7と陽性になっているが、HBs抗原はずっと0.1で陰性である。先の検査で、大丈夫だと一応言われていたのだが、家で数値だけを見ていると、『私は入院中の輸血治療等でB型肝炎になってしまった事があるのか? 或いはB型肝炎のキャリア(carrier)になってしまったのか? もしかして感染者として気を付けなければならないのか? 何故、値が上がったのか?』と色々不安になってきたのでもう一度先生に訊いてみた。

 抗体の値が陽性(positive)になったのは、他人の血液で作られたγ-グロブリンの点滴が原因と思われるという。どうしてそうなるのかと訊くと、B型肝炎の抗体を既に持っている人が献血した場合、それから作られる免疫グロブリン(immunoglobulin:Ig)には一杯その抗体が入っている。その血液製剤の点滴によって、その抗体がまるまる私に入ってきた為、一時的に上昇したと考えられるという。どれ位の期間、体内に留まるのかを訊くと、HBs抗体の半減期は長いそうだ。その為、今も数値上は若干高い値になっているが、HBs抗原(antigen)が一貫して陰性なので感染とは考えられず、全て擬陽性と考えて良いそうだ。それで、私は結局、肝炎に罹った訳でもキャリアでもなく、当然血液とかを介して人に感染させる事等は全く無いと説明して貰え、やっと安心した。

 話の最後に、去年行きたかった御手洗祭に行って神社のあのおいしい湧き水を飲んでみたいと思い、京都の地下水、例えば神社の湧き水等は飲んでも大丈夫かを訊いて見た。ダメと言われるだろうと思っていたのだが、予想に反して、いいんじゃないですか、との事。何故かを訊いてみると、汲み置きとか溜めているとか、よどんでいる水ではなく、湧き水は常に動いていて、新しい水が出ているという事になるからだそうだ。気分が良ければ、出かけてみようかと思う。

【血液検査結果】7/23:
WBC(白血球数) 4.0、HGB(ヘモグロビン) 11.5、PLT(血小板数) 177、
GOT(AST) 116、GPT(ALT) 170、γ-GTP 144、LDH 273、CRP(炎症反応) 0.2

2007-07-18

2007-07- 18 (水) 手乗りアゲハ

 庭に山椒の木がある。毎年初夏になると、無理に触るとニョキッと強い柑橘系の臭いを放つオレンジ色の角を出す幼虫がいつの間にか付いている。私がずっと幼い頃、母は他の毛虫とは違い、この幼虫だけは殺しもせず、「ほら、つまむと角を出すよ」といって私に見せて、「これはアゲハチョウになるんだよ」と教えてくれたものだ。そういえばこの季節になると、良く庭にアゲハチョウがひらひらと飛んでいるのを見かける。あれが山椒の葉っぱに産み付けていくのだろうか?

 今年もゴマ粒位のごく小さな(1齢位の) 幼虫を山椒の木に見つけ、しばらく庭に出るたびにその成長を楽しんでいたが、蝶も幼虫の時から育てると人に馴れるとどこかで聞いた事を思い出し、一つ、幼虫を育ててみようかと思って、その枝を切って水に挿して幼虫を育ててみる事にした。お蚕さんの飼育をしてみた事もあるので、芋虫は別に嫌ではない。

 この幼虫は最初のうちは鳥の糞の様な、白黒の柄をしている。何回か脱皮する(molt、moult)度に、より大きな幼虫(より大きな鳥の糞みたい??) になっていく。そして終齢幼虫に達すると青虫になる。これらは鳥の糞や葉っぱの色に真似ることによって、鳥等の捕食者に見つからない様に擬態(mimicry、mimesis)しているのだろう。嫌がる事をするとオレンジ色の角を出すのはごく小さい幼虫の時から終齢迄変わらない。しかし、今回は蝶にしようと思って室内に持ち込んできたので、毎日この幼虫を撫で撫でしてかわいがって育てている。かわいがって育てたら手乗りになるかもしれないという思いもある。

 青虫になってからの幼虫の食欲は凄い(何せ鱗翅目の幼虫は、体の殆んどが胃袋で出来ていて、奴らは食べる事が仕事と言わんばかりに、モリモリ音を立てて食べている)ので、餌の山椒の葉っぱを小まめに庭から切ってきて取り替え、世話してやっていたが、その葉っぱにもう一匹アゲハの幼虫がくっ付いていたらしい。いつの間にかチビ幼虫が1匹増えていた。

 日に日に大きくなっていた青虫が食べるのを止め、おんぶヒモを腰に渡してついに蛹に変態(metamorphosis)した。茶色の蛹かと思ったら綺麗なグリーンの蛹になった。さすがに蛹になってからは撫でるのは遠慮した。代わりに、偶然増えたもう一匹をかわいがって撫でて過ごす。

 待つ事、約10日。蛹の様子が少し変わっていた。これはもう今日中に羽化するなと思い、小まめに蛹の様子を応接間に見に行っていたが、あっという間に蛹から出て羽化したらしい(多分15分もかかっていないだろう)、もう枝につかまって羽を伸ばし、乾かしていた。クロアゲハが良く飛んでいたので、クロアゲハかと思っていたのだが、違うアゲハだった。羽化の瞬間を見られなかったのが残念だったが、羽化したアゲハが羽をしっかり乾かすまで待ち、動き出したのを見て、手に誘導してみると、手に止まった。応接間をしばらくひらひらと飛んでいたが、手を差し出していたら、(適当な止まる所が無かったせいかもしれないが)また私の手に止まってきた。かわいい。手乗りアゲハだ♪ チャンスとばかり、デジカメで記念撮影をし、ついでに超ド・アップ写真も撮った。逃げないからこそ簡単に撮れたと思っている。


 あと少ししか居られないが、この家でまた一つ素敵な思い出ができた。アゲハちゃんには一杯お礼を言って、庭に放ってやった。頑張って生きてね…… 家の山椒の実生を植木鉢に植え直して持って行こうと思っている。

2007-07-17

2007-07-17 (火) 病気と災害

 急性白血病(acute leukemia;AL)になって緊急入院して、感染(infection)予防に手洗い、イソジン(Isodine)うがいに始まり、生もの・生水厳禁、マスク(mask)着用は必須という生活がいきなり始まった。そんな入院中、時々ふと考える事があった。もし今、大地震が来たらどうなるのだろうか、と。

 治療で白血球(WBC;white blood cell)数が少なくなっている時は、非常に感染し易い為、出来るだけ病室からも出ない様にと言われていたのだが、大災害が起こった場合、自分だったらどうするだろう。動ける(治療の最中でない)ならば、先ず自宅へ何としても帰って母の身の安全を確保したいと思っている。点滴治療中だったら、そして白血球数が少なくて免疫(immunity;immunization)抵抗がなくなっている状態の時だったらどうするだろうか。病院の建物自体が危険でなければそのまま居残って治療を続ける事になるのだろうか、手洗いの水はどうするのだろうか、副作用で吐き気(nausea)や下痢(diarrhea)等起こったら悲惨な気がする、しかし、臨機応変に対応するしかないのだろう。病気になったのも運命と考えるのなら、きっと何とかなるのではないだろうか、等と漠然と考えていた事があった。しかし、想像と実際では本当の大変さ等、当事者以外に分かり様も無いと思う。 

  昨日、新潟県中越沖地震という大きな地震があったが、私に出来る事は、白血病に限らず、病気や怪我等で入院中に災害に遭われた方、自宅で闘病している人達もどうぞ無事であります様に、お祈りするだけです。

2007-07- 17(火) 髪の毛が?

 去年11月に骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)を受けて退院し、血液型(blood group)はB型からドナーである次姉の血液型のO型に移行中である。産毛の様に生えてきていた髪の毛は移植前治療で再度すっかり抜けてしまっていたが、それから8ヶ月、髪の毛は生え、もう化学療法(chemotherapy)は受けていないので、抜ける事無く伸び続けている。長いものでは伸ばすと9cm位になっていた。何故『伸ばすと』と書いたかというと、生えてきた毛はカールしているからである。

 もともとごく軽い天然パーマ(naturally curly hair)であったのだが、私が天パである事を知る人は少ないと思う。小さい時はとても大きくカールした髪の毛で、もつれ易かったのか、髪の毛を梳かれるのが嫌いだった記憶がある。そんな私を見て、かつて幼かった2人の姉達は「外国で生まれたからこの子は髪の毛がカールしているの?」と母に聞いた事があったそうだ。というのも両親を含め姉達は真っ直ぐな髪の毛だったからだ。就学後は癖っ毛程度になっていて、そんなにカールする事はなくなった。高校は、パーマ厳禁の私立女子高で、天パの人は入学時に『天然パーマ届け』を出さなければならなかったので、母と相談して一応出しておく事にしたのだが、親子面談の時、先生方から「天然パーマには見えませんけど?」と訝られた覚えがある。
 
 そんな髪だったのに、今度生えてきた髪の毛はカールしているのである。最初、産毛の様な柔らかい毛が生え、伸びるにつれ、カールし始め、その時は髪の毛が幼児がえりしたかなぁと思っていたが、最近では、髪の毛がクルクルっとカールし続け、何本か抜いて見てみたが、一本が2周も巻いている所もあるのである。丁度手の指に巻き付く感じでクルクルしている所もある。このままだと中程度のカールのアフロヘアー(Afro-haired)になるのではないかと思う位である(頭部シルエット写真)。

 もうそろそろカツラも帽子も取れそうな程度に伸びてきている筈なのだが、カールしている分、長さにロスが出てしまっているし、こんなにカールした毛は今迄で見た事も生えた事も無い。おまけに鏡を見ると今迄遭遇した事もないヘアスタイル(というか、爆発した様な髪型)の自分がいる。自分の中では、前髪が眉毛のあたりまで伸びてきたら帽子を取ろうと思っていたのだが、前髪も額の生え際でクルクル巻いて逆立ったままで、一向に降りてこないのである。この調子だと帽子を脱ぐ気になれるのはまだまだ先になりそうだ。。。


  誰か、骨髄移植をした後に生えてきた髪の毛がカールしていたって話、聞いた事ありませんかぁ~?

2007-07-16

2007-07-16 (月・祝) 予知夢?

 5日程前の7月11日、夢を見た。その時の感想を以下に記す。

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 『疲れたので夕方仮眠を取っていたのだが、その仮眠中、急に地震が起こり、ベッド上の自分はこの揺れで治まるか、もっと大きなのが来るかと一瞬身構え、布団を頭から被ったが、揺れはそのまま治まった。後で震源と震度をネットで調べ様と思いつつ、しばらくまどろんだ後、起きたのだが、気象庁のホームページで調べてみても東北のあたりに昼頃小さいのがあったのみで、近畿には一つも無かった。という事はさっきの地震は夢だったらしい。余りにリアルに揺れたので、夢とは俄かに信じ難く、何回も検索し直してみたが、違ったらしい。

 それはさておき、この頃、夢の中でよく母が出てくる。いつもと同じ感じでおしゃべり等をしているのだが、眼が覚めると、母はもういない事を思い出し、悲しくなる。私の入院中に急に逝ってしまって、お葬式と火葬場には行く事が出来なかった為か、未だに信じられない。

 そう言えば、私が発病する一年位前は、どういう理由かは分からないのだが、この家を皆(父母と祖母等:登場人物はこの夢を見た当時、母以外は既に皆亡くなっていた)で引っ越さなければならず、荷物をまとめてはいるのだが、家(自宅なのだが夢の中の家は凄く変わった形の建物)の屋根から雨漏りがして大変など、なかなか引越しが出来ない、といった夢を何故かよく見ていた。

 現在、母が亡くなり、相続でこの家を残す事を姉たちから猛反対され、もうあと少ししかこの家にいられなくなった(そしてこの家もなくなってしまう)。例の夢はこれを暗示していた様な気がして、少しは予知夢を見る力があったのかもしれないと、ふと思った。』
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 こういった内容を手帳に記していたのだが、今日、新潟・長野で大きな地震があった。震度6強(M6.8)だとか。それで、数日前に見た(体験したと勘違いした)夢を思い出した。20年程前になるが、夢の中で大地震のTVニュースを凄くリアルに見てしまって、目覚めた後も勘違いして母に、「外国で大きな地震があったみたいやねぇ」というと、母がポケッとした顔をしていた為、夢だった事に気が付いたという事があった。ところがその日か次の日だったか、アルメニア大地震のニュースが本当に飛び込んできたので驚いた事があった。もしかして、本当に少し、予知夢を見る力があるのかも?? とつい思ってしまった。

  今も地震のニュース速報が流れているが、被害は甚大の様だ。新潟県中越沖地震と命名された様だ。被災された方にお見舞い申し上げます。そして復旧や援助が速やかに進む事を心よりお祈り致します。

2007-07-11

2007-07-09 (月) 通院記録&歯科再診

 この2週間の体調は、手指膝・足首の関節痛(arthralgia)、歯茎(歯肉:gum;gingivae)痛も続く。頸痛(neck pain)で、しんどい日が多い。便秘(constipation;obstipation)傾向も続き、その対策にカマグ(酸化マグネシウム:Magnesium Oxide)とラキソベロン液(Laxoberon Solution)を服用しているが、6/27にはひどい便秘で浣腸剤(enemas;clysters)も使用したが、出すのに50分も苦しみ、内外出血してしまったので、久々に強力ポステリザン軟膏(Posterisan forte)でケアをした。この後遺症で1週間程、排便後に少々内側からの出血がみられた。どうしてここ最近急に便秘傾向が出始めたのだろうか? 睡眠障害(sleeplessness)なのか、時々明け方に眼が覚めて眠れない事がある。また、7/4頃から喉が痛く、少し赤く腫れている。抗生物質(antibiotic)を飲んで具合が悪いのを押さえたと言っていた長姉が先週日曜日から来ていて7/5帰ったが、その前日に凄く咳(cough)をしていたのだが、もしかすると関連があるかもしれないと思い、イソジン(Isodine)でうがいを何度もする。血圧、体温共に正常。

 今日は先ず採血を済ませてから、歯科(口腔外科)を受診(再診)した。口唇と歯茎の境目に白っぽくなった部位が見られ、そこが主に痛むのだが、6/27の口腔内粘膜スワブ検査結果は扁平苔癬(lichen planus)でも白板症(leukoplakia)でもなく陰性で、常在菌(normal flora)しか存在しなかったそうである。歯茎の炎症(inflammation)は良くも悪くもならず続いている事から、どう対処するのかと思ったら、このまま刺激物を避けて様子を見ようという。なんだか最近肝臓の件でこの言葉ばかり聞いているが、歯茎の事でも同じ事を言われてしまった。どうやらGVHD(移植片対宿主病;graft-versus-host disease)の可能性が高くなってきたのだが、通常口内に出てくるGVHDは頬の裏側に現われる事が多いそうで、私の場合は部位が少し違うそうだ。GVHDかどうか調べる為に生検(biopsy)をすると言われるのかと思ったが、これ以上ひどくなるとか悪性でない限りは、そんな痛い事(炎症部位を切り取る等)はしないそうだ。前回、主治医からは場合によっては生検かもと言われて緊張していたので、ホッとしたと言うか、少し気が抜けてしまった。

 次は血液腫瘍科で、主治医のKB先生に歯茎の結果とGVHDの可能性が高い事を伝えた。肝臓の結果はやや減少しており、現在の値あたりが頭打ちの様だが、ステロイドの使用は今回も見合わせる事となる。このまま減少していってくれたら良いのだが。薬の1つがゾビラックス(Zovirax)からビクロックス錠200(Vicclox Tab. 200)に代わったのが原因か、ともつぶやかれておられたが、代わったのは2/5からであり、肝臓の値が悪化し始めたのは3月中旬である。どうなのだろうか(関連はあるのだろうか)? ネオーラル(Neoral)は2/26に1日計75mg、5/14に50mgに減らされたが、50mgになってから血圧だけは確実に正常に戻っているが、どうも肝臓に関しては減少させた効果は見られなさそうである。

 その他、喉の腫れと赤みはまだ少々残る。便秘傾向については、通常よくあるGVHDは下痢(diarrhea)の方ですが、と言われ、こちらもGVHDなのかどうかハッキリしない。慢性的に続いている手指や手首、膝・足等の関節痛、特に頸痛が次第にきつくなっている件では、「かなり辛い様なら整形を受診して貰ってみるという方法もありますが。。。これじゃ、まだ当分、職場復帰は難しそうですね」と先生から言われ、一体いつ頃を目安に職場復帰を目指したらよいのか、漠然としていて悩んでいたのだが、今はまだ無理な状態らしいという事が分かった。ポストを置いておいて下さっているボスの為にも早く職場復帰して恩返しをと思う一方で、関節痛や体のだるい状態が続き、中途半端な体調で復帰してダウンしたら、却って皆に迷惑をかける事になってしまうのではないかと不安にも思っていたので、ある意味、こういう事が偶然先生の口から聞けてよかったと思う。周りからなんと言われ様と、ある程度しっかり治してから復帰の事を考え様と思えたからだ。きっと復帰の時期は自分の体が教えてくれるだろう。

診察の終わりに、「生卵とかはまだ解禁になりませんか?」と試しに訊いてみると、「生卵は、ううぅ~ん、まだダメでしょうね」と言われ、分かってはいたが、やはり少しガッカリ。肝臓の値が正常に戻ります様に、と祈る日々が続きそうだ。

【血液検査結果】7/09:
WBC(白血球数) 3.6、HGB(ヘモグロビン) 12.0、PLT(血小板数) 185
GOT(AST) 156、GPT(ALT) 230、γ-GTP 121、LDH 298、CRP(炎症反応) 0.2シクロスポリン(cyclosporin A;CyA) 32

2007-07-05

2007-06-27 (水) 歯科受診 

 月曜の診察後に予約しておいた口腔外科を受診する。入院中も見て貰った事があるが、退院後は初である。FT先生から痛み始めたのはいつからと聞かれ、5月中旬からと答える。初めは気のせいかと思える程度のごく軽い痛みで、歯茎(歯肉:gum;gingivae)の一部に少し白くなっている所が見られたのが、最近痛む部位が広がり、歯茎の粘膜で白くなっている部位も増えてきた事を伝えた。

 先生は、扁平苔癬(へんぺいたいせん:lichen planus)か白板症(はくばんしょう:leukoplakia)の可能性があると言われたが、よく聞き取れなかったので、聞き直すと、先生はその病名を漢字で紙に書いて下さった。そして患部の、歯茎の白くなった部位を専用綿棒でスワブ(swab)し細胞採取された。培養して調べる為だ。この問診後は歯のレントゲン写真(an X-ray (photograph)を撮り、次はTM先生に診て貰うと説明された。

 レントゲン撮影後、TM先生(女医だが、入院中に診て貰った先生とは違う先生だった)に診察台で歯茎を診られ、もう一度問診(inquiry)され、ついでに患部を撮影された。しかし、炎症原因が分かった時の治療法の具体的な説明がある訳でもなく、ただ、治る迄は刺激物、辛いもの(一味等)を控える様にとだけ注意される。歯槽膿漏(alveolar pyorrhea)は進行しているかどうかを訊いてみると、年相応で悪い訳ではないと、何とも中途半端なご回答を頂いた。このままのケアで大丈夫なのですね、と重ねて訊いたが、ハッキリした説明ではなかった為、少しガッカリした。でも、大丈夫なのだそうだというのを訊けて、少しだけ安心感が出たのはやはり嬉しい。

 スワブの検査結果が出るのに一週間位かかる事から、再診日はいつが良いか聞かれた。今週の月曜日の診察で肝機能の値が悪化していた為、本当は来週の月曜日に受診したかったのだが、この日は、家が売れたらしいという件で、KR社と姉達が家にやって来る事になっている為、2週間後の月曜日に予約をお願いしていた。出来ればその日にして貰えないかと頼み、同じ日に予約が取れた。

 今日は診察のみで薬も出なかったので、支払を済ませた後、お墓に行く事にした。本当は月曜日に行こうと思っていたのだが、母の準確定申告(亡くなった母の代わりに出さなければならない確定申告書)や『相続についてのお尋ね』表の書き方等、分からない所をまた税務署に質問に行き、疲れてしまった為、お墓に行くのは止めにしていた。

  (中略)~~~~~~~~~~~~~

 それでも漸く何とか書類が書けそうな所までこぎつけられた事もあり、少し気分的にホッとしたので、両親や祖母が眠るお墓にいく事にした。雑草を抜いて掃除をし、両親の友人のお墓も掃除する。いつも、うちのお墓も見て下さったり、母や発病後の私迄をお見舞いして下さるAさんの、ご主人が眠るお墓だ。お礼を込めて雑草抜きをさせていただき、お参りした。お墓は市の西北の小さな山の裏手にある。K都の家がなくなれば、そう簡単に来れなくなるだろう。せめて、今年だけはと思い、時々お墓参りをしている。静かで自然が一杯の所なので、心が休まる。