2010-01-10

2010/01/10 (日) 復職してます、そして……

 2009年の日記で、ちょくちょく《社会復帰へのリハビリ(rehabilitation)》という表現を使って来た。回りくどい書き方をしてきたが、実は、昨春3月中旬に復職している。なので、2009年春以降のブログ内での《社会復帰へのリハビリ》というセリフを《出勤》に変えて貰えるといいかもしれない。
※ 当時、“復職”と書かないと決めた為、時折《社会復帰へのリハビリ》というセリフで表現してきたが、実際に復職した事を説明していない為、本当は書きたかった復職後の悩み等を説明しきれず、このブログでは省略して掲載しなかった事項も多い。

 復職は、週5日のフル勤務ではないという事もあるが、果たして、途中ダウンせずにちゃんと続けられるだろうか、という不安もあり、職場の人以外では、姉も含め殆んど誰にも知らせていなかった。自信が持てる迄は、安易に復職報告をしないでおこうと決めたのだ。

 自分の職種は、手先を使う細かい作業をする技術系、毎年契約更新という形で、週5日の裁量労働勤務をしていたが、病気で長期休職せざるを得なくなった。しかし、ボスは休職中も契約更新をしてくれ、戻る場所があるという事は、闘病中でも非常な励みになり、職場復帰の折は、是非ご恩返ししたいと思っていた。ただ、自分の休職が長引いた為、自分のポストには派遣ではなく、代わりの技術系職員を新たに雇う事になってはいた。

 休職も長期になってくると、ボスのご厚意に甘えてこれ以上休職延長するのも心苦しいという気持ちが湧いてきたが、どうしても体力その他に自信が持てず、休職延長届を、昨春も出したいと願っていた。しかし、その1年程前から、主治医が(自分の生活を考えての事でもあるのだが)もう復職を考えてはと勧め始めた。復職の決定打は、主治医が、見た目元気そうな私に対し「もういいんではないか?」と言って休職延長用の診断書を書いてくれなかった事である。

 主治医にも話したのだが、元気そうに見えるという事は、自分の病気を知っていてくれる人に対し心配を掛けずに済むという点で、非常に有り難い事である。「元気そうね」と言われ、敢えて「だるく、節々が痛み、しんどい」等とは言わず、「お陰様で」と答えれば、とても喜んで貰える。しかし、復職となると、話は別だ。仕事を任される以上は責任を持ってこなさなければならないので、途中でダウンする事態は避けたい。一番心配しているのは「本当は元気なのに、病気を理由にサボっている」と見られるのではないかという不安である。つまり、“痛み”や“だるさ”は見た目では分かって貰えないという事である。母もこの悩みをよく言っていたが、その時は頭で理解したつもりではいた。しかし、本当にこの辛さを知ったのは、自分自身がこの病気になって以降だ。身をもって体験しないと分からないという事は、こういう事なのかもしれない。

 主治医が診断書を書いてくれなかった為、復職する事になったが、ボスは産業医や事務と色々相談して最善の職場復帰を探してくれおり、週4日勤務という、新しく出来た勤務形態を用意してくれていた。ボスには事前に、始めは週3日位からなら、なんとかやれるだろうと伝えていたのだが、週4日の勤務形態でも、有給休暇と、給金が減る覚悟の上で欠勤も使えば、週3日で始められると分かり、何とか自分の中でも復職の覚悟が出来た。もうこうなったら発車オーライだ。

 さて、ボスにも伝えたが、当初の希望的予定としては、週3日で徐々に体を慣らして行き、週4日勤務に移行して、それが早く叶えば、10月の後期から元の週5日の役職に戻して貰えれば、と願っていた。しかし、実際勤めてみると結構体に堪え、殆んど週3日勤務状態から抜け出せないまま年末を迎えてしまった。なんとも不甲斐ない……。それでもなんとか年末迄、無事勤める事が出来たので、漸く皆に復職の報告をしようという気持ちになり、年賀状に書く事にした。内心、次年度は契約更新されない可能性があるとも感じ始めていたので、復職という、とてもいい報告材料がある今のうちに、という気持ちもあった。

 夏以降、特に右手のこわばり(stiffen)が始まって以降、日を追う毎に仕事が辛く感じる日が増え、休みの日は殆んど何もする気が起こらない事が多くなっている。年賀状も12月30日にやっとの思いで投函したのだが、姉達にはメールで、契約更新して貰えるかどうかは不明だという話も含め、詳しく書いて、大晦日に、他の人より、気持ち少しだけ早めに報告した。それでも姉達からはそれぞれ、私の復職を心底喜んでいるとの返事を貰った。実は少し緊張していたのだが、ほっとした。

 ところで、復職報告の年賀状を送ったので、今迄心配してくれていた姉達を含め、色んな方々に、何か内祝いみたいなものを1月中旬頃に送ろうと考えていた。このあたりなら、もう年賀状は届いているだろうし、また以前勤めていた頃の記憶では、契約更新のボスとの面談は、だいたい1月末から2月初めであったからだ。もし契約更新が叶わない場合、少し早目に言い渡される可能性があると考えてはいたが、1月中旬ならギリギリまだ契約の話も訊かずに済む。

 しかし、1月7日の夕刻、ボスから次年度の契約更新は無い旨を伝えられる。まさかこんなに早く通達されるとは思っていなかったので、覚悟していたとはいえ、不意を突かれた形で、かなり動揺してしまった。職を失う私に、次の職探しの時間が多い方がいいと思ってのボスのご配慮からかもしれない。

 最近、勤めがかなり辛く感じてきていたが、復職のお蔭で随分体力は付いたのではないかとも思っている。普段なかなかうまくコミュニケーションを取れないボスには、精一杯心からの感謝の気持ちを込めてメールをしたが、退職の折には、お手紙で、もう一度お礼を伝えたいと考えている。ただ、復職後のお礼返しの仕事が何も出来なかった事だけが残念である。
 
 さて、内祝いだが、これは入退院から現在に至る迄の感謝の気持ちを伝え、一旦心の整理しておきたいと、兼ねてから考えていた事なので、予定通り、今週末にでも実行するつもりである。退院してこのかた、入院する程の不調も無く経過していたが、昨夏急に右手が使えない位こわばる等という事が起こったりする。幸い薬でその症状が治まっているが、今後何が起こるか分からないと覚悟しておいた方が、気が楽でもある。そういった意味でも、無事に過ごしている今が、お礼返しをする絶好の機会だと思っている。

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