2008-04-29

2008/04/29 (祝) スミレの種

 母も私も好きな花であるスミレの種を、今度墓地へ寄る時に蒔こうと思い、蘭の鉢で咲いていたスミレを見守っていた。要するに種が飛び散らないうちに回収しようと気を付けていたのだ。

 写真はスミレに種が出来て、はじける前後の状態が色々と写っている。はじけて間もない状態(写真左上)では、種が3列に並んだ、鞘というか、種の入れ物が3つ放射状に開いているのが見える。このはじけ飛ぶ前の種を保存しようと、茎を切って透明容器に入れておいたら、時々パチンとはじけて容器内にぶつかる音がする。その都度観察していたが、スミレはこの種を蓄えた鞘が、多分時間経過につれ乾燥してくるのだろう、細長く締まって閉じてくる。すると、3列あった種は2列になり、1列になり、ついには全て弾き飛ばされる。その勢いでかなり遠いところまで種を飛ばしているみたいだ。

 パチンと音が鳴る度に容器の底に種が溜まっていく。。。

2008-04-28

2008/04/28 (月) アッツザクラのその後

 可憐な花で楽しませて貰ったアッツザクラが咲き終わった。終わった花は摘んでしまおうと思いつつ、ついつい先延ばしにしてしまっていて、とうとう写真の様な状態になってしまった。


 ところで、最初は気のせいかと思っていたのだが、このお花、咲き終わった花から次々と、太陽とは反対の北側に倒れていくのである。写真は見難いかもしれないが、画面上が北で、10本程終わった花が倒れている。4月13日のアッツザクラの写真を参考にして貰えれば、この画面向かって右側が北側にあたり、咲き終わりかけている花が2輪、北に向けて倒れているのが見て取れる。

  全ての事には理由があるのだろうが、この花が北側に倒れていくというのには、一体どんな生き残りの戦略が隠されているのだろう? こんな小さな現象一つとっても、生命の営みとは不思議に充ち溢れている。

2008-04-27

2008/04/27 (日) 牡丹咲く

 ずっと昔の事、とある日曜日、長谷寺へ牡丹を見に行くぞ、と父の鶴の一声で両親、中の姉と車で出発。大渋滞に巻き込まれつつ、やっと到着した長谷寺でいっぱいの牡丹の花を見学して回った後は、牡丹の株をいくつか買って帰った、そんな記憶がある。

 S学院の庭には毎年今頃、その時購入した牡丹が咲き誇り、近所でも名物になっていた我が家の白藤と紫藤の開花と相まって、庭を豪勢に賑わしていた。その牡丹もいつの間にか、一本だけに減ってしまっていたが、引っ越しの時それを持ってきていた。自生していた時には気がつかなかったが、鉢植えにして世話していると、開花に合わせて、このお花は非常にお水を要求する花だと知った。

 それまでは週に一回だけの水やりで十分だったが、蕾が膨らみ始めてからは、3日も経つと鉢土がまだ湿っているのに急に葉っぱや花びらがしおれてくる。それで一昨日も慌てて水やりしたら、きれいに咲いてくれた。と言っても、また水が少なくなっているのか、葉っぱと2つ目の蕾がしおれかけていたので、またまた水をあげた。庭に自生していた時に比べ少し花の大きさが小さい気がするが、これから大きくなるのだろう。

  参考までに、経験上、牡丹は開花したらすぐに切り花にして、壺に活けておいてあげると、木に咲かせたままにするよりはずっと長持ちするし、日に日に大輪の花になっていくのが楽しめて、おすすめである。

2008-04-23

2008/04/23 (水) ポイント交換

 クレジットカードや携帯電話等で、色んなポイントサービスがある。携帯でのポイントで、先月末に期限切れになるポイントがかなりあったので、初めてポイントというものを使ってみた。

 ネットにアクセスして、交換出来る一覧を見てみたが、特に欲しいものが見つからなかったので、自分で選べるグルメギフトにする事にした。

 2、3日後に選べる商品の載ったグルメギフトの冊子が送られてきた。おいしそうなもの等一杯あったが、結局、色々利用出来そうなハム・ソーセージのセットにした。と言っても、候補は数店ある。そこでその中でも詰め合わせの総グラム数の一番多い店を選んだ。同じポイントで交換するなら、やはり量が多い方かお得……

 で、本日それが到着した。かなりズシッと重い。単純計算でも合計750g以上で、実質はもう少しだけ多そうである。こんなギフト用のソーセージ等、高いので、普段すすんで買う事は滅多にないが、とてもおいしそうである。ポイント交換だからこそ出来たと言ってよいだろう(なんだか大げさな表現になってきた…)。これでしばらく、色んな味を、色んな形(調理)で楽しめそうだ。

 でも見れば見る程、これをつまみに冷たいビールを飲んだら、さぞかし、おいしいだろうなぁ、って思ってしまう……。去年の事があるので、免疫抑制剤(immunosuppressant)は徐々に減らした方がいいと感じているけれど、早く気兼ねなく自由にお酒が飲める状態になりたい(免疫抑制剤が終了になるのが一応の目安)とも思う日々である。

2008-04-22

2008/04/21 (月) ビタミンDと日光浴

 今回の通院時、骨粗鬆症(osteoporosis)関連で、骨の為に日光にあたってビタミンDを作る様にした方がいいか、という話を先生にしてみた。昨年12月に骨粗鬆症気味になっているとわかってから、骨粗鬆症改善薬としてフォサマック(Fosamac)を処方して貰って服用しているし、食事でもカルシウム(calcium)を多く取る様に心がけている。移植(transplantation)後は太陽には余り当たらない様にとも言われている。それでも、もっともっと骨量を増やしたいと思うのである。

 一般に、ビタミン(vitamin)は体内で作る事が出来ないが、ビタミンDだけは食事以外にも、太陽(紫外線)に当たっても作られるという。そして骨を作るのに大切なカルシウムは、ビタミンDがないと体内へ吸収されないという。そこで、日光に当たるというのは、皮膚を太陽光線に直接さらさなければならないのか、それとも、衣服を通してでもOKなのかが分からないので訊いてみたのだ。何故なら、私はもともと紫外線アレルギー(UV allergy)があるので、顔や手等が太陽に当たると発疹(exanthema;eruption)が出てしまう。しかし、服の上からでも日に当たれば(要するに直接肌に日光を浴びないならば)、ビタミンDを作る事が出来るのなら、もう少し外へ出る様にした方がいいかな、と思ったのである。

 結果は、この場合、直接皮膚を日光に当てなければビタミンDは作られないという事が分かった。そして先生は、私が骨髄移植(bone marrow transplantation;BMT)の前処置で全身放射線(radiation)照射を受けている為、皮膚が通常の人より弱くなっている可能性が大きく、却って皮膚癌等のリスクがあるので、日光に当たるのは止めた方が良いと言われた。むしろ、日に当たるのは出来るだけ避ける様に強めに言われた印象を受けた。最近はオゾン層破壊が進んできて、健常人でも直射日光に浴びると皮膚癌等に罹るリスクが高くなってきているというから、やはり避けるべきなのだろう。まあ、いずれにせよ、直接日光に当たると皮膚にぶちぶちが出てしまうので、自分の場合、ビタミンDも、せっせと食事から取る様に心がける様にした方が良いという事なのだろう。

 ところで、ビタミンDって、どんな食事に多く含まれているのだろう?

2008/04/21 (月) 通院記録 

 この4週間の主な体調は、毎朝脚が攣り、こむら返り(twist、leg cramp)もしばしば起こる。腰痛(lumbago;backache)、頸痛(neck pain)、肩関節痛、指、手首の関節痛(arthralgia)、背中がだるい等。脚を曲げてかがむ事は再び、余りきつい痛みも無く出来る様になってきた。この2週間程、体が軽く感じる日が出てきた。全般にいい感じである。

 さて、採血約1時間後、呼び出し音が鳴り、診察室へ入ると、先生が「どうですか、体調は?」といきなり聞かれた。(毎回訊かれている事なのだが、何かちょっといつもと違ったので)あれっ、と思いつつ、いつもの様に、こまごました体調や諸症状を述べ、4月に入ってから、おおむね調子が良いです、と話すと、「そうですか…」となんだか下がり調子(??) で言いつつ血液検査の結果をプリントアウトされる。そして、「これを見せたくないですねぇ…」と歯切れの悪い言葉が出てくる。えっ、まさか値が悪くなったのか?!と思ったのもつかの間、なんのなんの、肝機能(liver function)の値はきれいに正常になっているではないか! 厳密に言うと、γ-GTPのみ基準値より1だけ高かっただけである。あれっ? なんで…?!

 なんの事はない、先生は、私がこの値を見たら、お酒解禁! と言い出すのを見越して、「いやぁ、困った」といった事を言われたのである(お互いに何となく苦笑)。すかさず、「前回宣言した通り、3月末に2日間(3/30&31)、好きなだけお酒を飲んだんですよ」と報告すると、先生も「お酒を飲んだから(肝機能が)改善したと言われたいんですねー」と返された――私が以前、「毎日お酒を与えて働かせ続けていた肝臓なのだから、アルコールを与えてあげた方が、肝臓が慌てて働きだして、肝機能の値も良くなるんじゃないか」という話をしている。アミラーゼ(amylase:AMY)がまだ高いと言っても、こちらも下がり傾向である。「解禁ですか?」と訊くと、「いや、まだ免疫抑制剤(immunosuppressant)を飲んでいますからね」(要するにまだダメという事)とKB先生。

 以前にも書いたかと思うが、KB先生は、免疫抑制剤のネオーラル(Neoral)服用中は飲酒禁止というお考えだ、お医者さんによっては、飲酒(あくまでも適切な量の飲酒を前提としていると思うが)は問題無いという立場の先生もおられる。実は、今回の肝機能の値が改善し始める前から、『お酒ちょっとだけ再開許可願い』を通院の度にしていたが、先生はどうしても首を縦に振って下さらなかった。

 思えば、去年10月初めにネオーラルが半量の1錠(25mg)になったのを機に、時々お酒を飲む様になった(その時は、少しならOKと先生からの許可を得ていた)。そして引っ越し直前の10月末に、先生が、K都を離れて引っ越す私の感染症のリスクを減らす意味も込めて、免疫抑制剤を含め毎日飲んでいた薬の殆んどを終了にして下さったので、もう再開してもいいでしょうと、引っ越し荷物の片付けの合間に缶ビール等を飲んで、疲れ等を癒していた。そして久々に自由にお酒が飲めるという事に小さな幸せを感じていた。ところが引っ越して間もなく、体調に異変が生じ、血液検査の結果は肝機能異常の再燃(recrudescence)であった。そして私は当然の如く、アルコール禁止を言い渡されてしまったのだった(私はお酒が原因ではないと主張したのだが…)。結局、11月から始まった肝機能異常は飲酒再開のせいではなく、急に免疫抑制剤を切った(ゼロにした)のが原因の、肝臓に起こったGVHD(移植片対宿主病;graft-versus-host disease)だと分かったのだが、その治療の為、年末に免疫抑制剤を再開した為、それこそ、そのままアルコール禁止になってしまった……

 おかげでクリスマスも、お正月も、誕生日も、大好きなお酒を飲んでお祝い等出来なかった(それに本当に体調が悪く、たくさん飲みたい気にはならなかったが、一口だけ飲んで自分の中で小さなお祝いをしたかった)。これは仕方がない。しかしようやく値が改善してきたので、週に一日位解禁日を、それがだめなら月に一回だけ、とかなんとか言って通院の度に一生懸命お願いしていたのである(笑)。2月末の通院日でも免疫抑制剤を再開して飲んでいるからと、許可が出なかったので、とうとうイースター(ご復活祭)もお酒でお祝いは出来なかった。そして、前回3月の通院日には、月末に身内にお祝い事があるので、その日だけでいいから、その席でお酒を飲みたいと許可願いをしたが、やはりダメだった。先生は、私が飲み始めると1日が2日になり…、と増えていくかもしれないし、量も増えると心配されておられるのだ(要するに信用されていない)。初めからそう言われると予想していたので、それならもう自己責任で、その日は解禁にします、と先生に伝えると、「それでも、私は許可するとは、やはり言えないです…」と言われた。こんな滅多にない親族のお祝いの席位、許可してくれてもと思うのだが。。。 それに万が一、再発(recidivation)・入院となれば、それこそ飲めないままではないかとも思い、自分としては今後、状況に合わせ適宜、解禁日を作ろうと決心したのだ。当然、飲酒が原因で、風邪等ひいてしまっても全て自己責任、覚悟の上である(もし飲酒が原因で体調不良等が起きても先生に責任を負わせる気等さらさらないが、出来れば先生の許可を得たかった)。

 自分はお酒が大好きで、疲れが取れたり痛みが楽になったり、また楽しい気分になったり出来る飲酒という息抜き(愉しみ)をたまにしても、かえって精神衛生上いいのではないかと思うのである。ただ、主治医のKB先生の言われる通りに、原則として免疫抑制剤を飲んでいる間は、出来るだけ禁酒を守ろうとは思っているので、今回の飲酒はその2日間のみで、また自主的に禁酒してはいる。

 先生に、また自己責任で飲む事があるかもしれないと伝えると、「う~ん、じゃあーやっぱり、カルテにお酒を飲んだと書いておこうかしら…」と言われるので、飲酒の事を入力しておられない事が分かり、「では、『“いっぱい”飲んだ』と書いておいて下さい」というと、先生困られておられた。結局、どう書かれたのだろう?
※免疫抑制剤の治療を受けている方は、どうぞ、この不良患者の書いている事など参考になさらず、各々の主治医の指示通り、禁酒と言われるのならどうぞそれに従ってほしい。何事にも個人差があるが、免疫抑制剤はアルコールによって効き目が強くなる事もあるそうだ。先生は、一人ひとりに適量を処方されておられるので、飲酒によって効き目に想定外のずれが出てしまうかもしれないという事に注意しなければならない。それからもう一つ、飲酒によって体が温かくなり、そのまま寝てしまって風邪をひいてしまうのではないかという事もあり、先生は特に冬の間その点についても心配されて許可を出して下さらなかった。

 その他、珍しく先生の方から血圧の事を訊かれたので、相変わらず低めである事を伝えた。実は、去年ネオーラルを1日2錠(1日50mg)飲んでいた頃の血圧(blood pressure)はずっと高めだったので、免疫抑制剤をその時のレベルに戻すのだから、また血圧も高めになってくるだろうと覚悟していた(血圧が高い事に関して、ネオーラルの副作用の可能性を先生から訊いていたからだ)。ところが今回は一向に血圧が上がる事はなく、低い傾向をほぼ維持している。先生も薬再開でどうなるか気にしておられた様だ。何故今回は上昇してこないのか、不思議である。体重((body) weight)も前回に引き続き訊かれたので、大きな変動はないと報告した。

 4月16日夜から喉の調子が悪く、唾を飲み込むのにも痛みを感じるので、いつもよりはやや悪い状態が続いている。今朝はここ数日に比べるとマシであるが痛い。こちらは先生、喉を見て下さり、真っ赤ですね、と。風邪(cold)か何か感染症(infection)かもしれないらしいが、特にそれ以上コメントはなかったので、うがい(gargle)だけで良さそうである。また、4/19&20とへその下に差し込む様な腹痛(abdominal pain;abdominalgia)があったが、これは原因不明との事。

 体調他、全般に良好だったのだが、飲み薬の種類は現状維持で、減薬される事はなかった。「移植(transplantation)2年を目安に減らしていきましょうか」と言われる。どうやら去年の、減薬するタイミングが早過ぎた様なので、今度はゆっくりと免疫抑制剤の量を減らしていきましょうという事らしい。それでは11月頃に免疫抑制剤がゼロになるのかと訊くと、そうなっていればいいなぁ(もう少しかかるだろう)、という程度の予定で考えておられる様だった。私もその方が安心である。

 最後に、不良(飲酒)したついでにまた、約一週間強(4/6迄、4~10本/日の割合で)喫煙した事も伝える(ひどいストレスがあったので、自棄になって吸ってしまった)。これに関しては絶対に止めた方が良いと言われる。私の病気では肺の病気で命を失う事が多いので、リスク(risk)を減らす為にもと。更に私は放射線(radiation)治療を受けている為。肺機能も低下しているだろうからなおさら注意が必要で、喫煙は止める様にといわれた。飲酒の方は『止めた方がいいですが』程度だったが、喫煙に関しては私の場合、かなりリスクが高いらしい。

  放射線治療によって、肺と同じレベルで肝臓も、そして恐らく他の臓器も痛めつけられているだろうとは容易に想像出来る。だからお酒に関しても昔の様に飲んでも大丈夫等と過信してはいけないだろうという事も頭では分かっている。分かってはいるのだが、最近、刹那主義的になってきている自分がいる。

【血液検査の結果】2008/04/21:
GOT(AST) 26、GPT(ALT) 14、γ-GTP 30、LDH 193、AMY 136

2008-04-20

2008/04/20 (日) 蘭

 この所、冬の間中、液肥をやって育てていたシンビジウム蘭が満開になってきた。咲かなかった鉢もあるが、赤色、白色、桜色等、とても綺麗で美しい。それぞれに名前があるのだろうが、自分には殆んどわからない。母が好きだといっていた薄黄緑色の蘭は、今回は蕾を付けなかったか……。でも自分は、全く素人なので、ただ肥料と水をあげていただけ。葉っぱはお花屋さんにあるのと違って、ちょっと日に焼けていたり、垂れていたりで少し弱々しいが、それでもお花は立派に咲いてくれ、みていて飽きない。植物のこういう成長を見たり眺めたりするのは楽しいものだ。

2008-04-19

2008/04/19 (土) 飛行船

 4月に入って、はっきりしない天気が続いている。今日もそうだったが、ふと空を見ると飛行船がゆらりゆらりとこちらへ向かってくるのが見えた。ゆっくり飛んでいる様に見えたのだが、カメラを取りに行っている間に、随分と接近している。飛行船の胴体には“FLY WITH ME ! ”と書いてあった。どんな人達が乗っているのだろう……?

 そういえばK大病院入院中の2006年、6F病棟廊下突き当たり、西の非常階段近くの硝子戸から外を見ていた時、一度だけ飛行船が飛んでいるのに出くわした事があった。病室ではなく、そのフロアである廊下を散歩していたのだから、白血球(WBC;white blood cell)数が少なくとも500位はあったのだろう。その飛行船の胴体には、確かどこか有名な商品名か何かが書いてあった様に思う。広告塔として飛んでいたのかもしれない。その時はお天気も良く、あれに乗って見下ろす風景はどんな感じなのかなあと、豆粒程の小ささになっても、見えなくなるまで、飽かずにずっと想像しながら飛行船を追いかけていた。

2008-04-13

2008/04/13 (日) アゲハとアッツザクラ

 4/1に伯母から分けて貰ったアッツザクラ、ひと株は椿の鉢の裾に、もう一つは小さな鉢植えにしたのだが、今満開を迎えた。やはり可憐でかわいい。このお花はもっと増やしてみたいと思う。これが庭一面に咲き乱れていた景色は大変美しいものであったからだ。この所、蘭(シンビジウム)の花が次々と咲き始め、ベランダにはささやかな春、花爛漫である。根付かなかったかと諦めていたエニシダにも新芽を発見したり、去年とうとう一輪も咲かなかった薔薇に蕾を見つけたり、今後も楽しみである。

 さて、昨日のアゲハ君だが、翅が伸びきらないまま、飛ぶ事も出来ず、ぐたっとしていた。なんとか元気になって欲しいと思うのだが、何にもしてやれない。しかし、ごはんをあげようと思いつき、アッツザクラの花を一輪取ってきて、アゲハ君の口(口吻)に近づけてみた。すると、このアゲハ君、両肢で花びらをつかみ、頭を花に突っ込み、口吻を伸ばして蜜を吸い始めた。


 ひとしきり蜜を吸った後、アゲハ君は頭(目)と口吻を花粉でまっ黄色にして、しばし放心した様に草の上にひっくり返って休んでいた。多分この子(アゲハ君)はもう先が長くないと思われるが、蜜をおいしそうに吸っていたので、なんだかこれで良かったんだと感じるひと時であった。

2008-04-12

2008/04/12 (土) アゲハ羽化する

  去年、引っ越しの時、家の山椒の実生も持ってきたのだが、そこに偶然青虫が付いていたらしく、気が付いた時には、小さな山椒の木の葉っぱを全部平らげ、丸坊主にした枝に寒そうにしがみ付いていた。11月は何度か通院と、取り壊される実家を見届ける為にK都まで通っていたので、夜、誰もいなくなった敷地に入り、山椒の生えていたあたりから山椒の葉を見つけ出して、持って帰ってやったのだが、食べようとはせず、間もなく行方不明になってしまい、蛹になったのかもと随分捜してみたが見つからず、取り壊されている家の事と相まって、悲しい思いを募らせていた。

 ところが、年も明けてから、山椒の鉢から離れたランの鉢の側面に蛹になっているのを見つけ、とてもうれしく、大事に見守っていた。写真2つ目は、蛹の写真で、尾部を鉢にくっ付けている。白く見える糸は丁度蛹の腰あたりにあり、体を支える『おんぶヒモ』として植木鉢に渡して付いている。尾部に見える丸っこいものは、幼虫の脱皮殻で、幼虫の頭部の抜け殻がそのまま残ってついていた。

 最近またどこかに消えてしまい、捜すと鉢から剥がれて落ちていたので、軽石の上に置いておいたのだが、うまく脱皮出来るかどうか難しい状況になってしまった。それでも日々暖かくなるので、毎日観察していると、今日、また姿が見えなくなりあたりを捜していると、何か昆虫と目が合ってしまい、『この虫に食われちゃった?!』かと慌てると、なんの事はない、羽化したアゲハ君の目だとすぐに気付いた。しかし腰半分にまだ蛹の脱皮殻を付けたままで、羽化に失敗していた。去年、アゲハの羽化をさせた経験があるので、蛹から脱皮するのはあっという間だという事を知っていたからだ。もう間に合わないかもしれないが、蛹の脱皮殻を引っ張ってやり、全部脱がしてやった。アゲハ君の翅はしかし、小さく縮んだままで、これ以上展翅しなかった。

 昆虫の生命力には凄いものがあるので、なんとか頑張ってくれとは思うのだが。。。




2008-04-11

4/7の「歯医者さん、Prat 2」に“追記”を追加。。。

2008-04-10

2008/04/10(木) 太極拳でストレッチ?!

 NHK教育で昼、“趣味”シリーズの新番組で太極拳の再放送があった。宣伝時から体力や筋力アップにつながるかもと思って気になってはいたが、本放送は見ていなかった。そして今日たまたま第一回目放送が始まるところだったので、試しに一緒にやってみた。移植(transplantation)後に起こった関節痛(arthralgia)は、きつい時は膝の屈伸もままならなかったが、現在は慢性化(chronic)している状態だが、随分とマシになったと感じる日が多くなった。

 さて番組だが、第一回目なので、先ずは太極拳を始める前の準備運動ともいえるストレッチが紹介されていた。関節痛等で体が随分と硬くなってしまっているので、体が付いていかないだろうというのは初めから想像していたので、出来る範囲で徐々に型に近づく様に体や脚等を伸ばしていけばよいと思って見ていた。最初の立った状態からの両脚開脚屈伸で、早くも全然ついていけなかった。そして次のストレッチで、ショックな現実を突きつけられる思いをした。

 そのポーズとは、床に脚を真っ直ぐに伸ばして座る形を思い浮かべて貰いたい(体育座りの様に膝を軽く曲げて両手で抱えて座ったポーズから、両膝を真っ直ぐ伸ばして脚を床につける形)。両手を膝というか太ももに置いたままで、この様に脚を伸ばして座る事自体、かなり辛い事に気付きショックだったのだが(脚を伸ばし、手を体の後ろの床につけて体を支えるのなら楽)、テレビではこの状態で脚を伸ばしたまま出来るだけ開いてから、上体をうつぶせるストレッチだった。バレリーナなら両脚を一直線に広げられるだろうが、TVの参加者も180度近くまで開脚していた。ところが、私にはきつい痛みが走り、情けない事に、90度も開く事が出来ない(頑張ってやっと60度位か)。普段、胡坐(あぐら)をかいて座る事は出来ていたので、もっと開脚出来るイメージがあった。まさかこれ程までに開かないとは、正直、かなりショックである。胡坐の様に脚を曲げた状態と、伸ばした状態ではこうも違うのかと、それも驚きであった。こんな状態で、上体を前へ倒す事等、全く無理で(床と上体の角度はせいぜい90度……全然前へ倒せていない)、少しだけ開脚出来た足の間の床に両手をちょっとだけつけるのが精一杯、しかもそれだけで腕・脚・腰等にひどい痛みが走った。

 昔、思いっきり足首をくじいた事があった。それ以前にも1、2回同じ所をくじいた記憶があるが、くじく度に治りも悪くなってきて、その時は腫れも引き普通に歩けるまで快復しても、正座が出来なかった(正座しようとすると激痛で、そういう方向に足首を伸ばせなかった)。そのまま足首の柔軟性がなくなってしまっては後々大変と思い、腫れがひいてからは湯船の中で徐々にストレッチ(痛みがある方向に無理ない程度に、軽く痛みを我慢しつつ伸ばす)やマッサージ等のリハビリ(rehabilitation)に努めた。いつまで経っても正座は痛くて普通に出来ず、日本にいるのに正座出来ないなんてと焦ったが、続けているうちにいつの間にか、普通に正座出来る様になっていた。その経験から、痛い時は無理せず、主な痛みがひいてからリハビリと思っていたが、この、余りの体の硬さには今回危機感を覚えてしまった。

  4月に入って体調が良いと感じる日も多くなってきている。今日から階段リハビリの上りの階段数を4階分から8階分にしてみた。これは脚力や骨の為にいいかと思って、今年2月から始めてみたものである。急に色々やって、足腰を痛めてもいけないと思うのだが、これからはストレッチも加えてみようかと思う。果たして少しは柔らかくなるのかどうか、やってみなければ分からないが、やらないよりはましだろう。少しずつ様子を見ながら無理のない程度に騙しだましストレッチをして、体もほぐしていかねばならないと、何故かそう感じるのである。太極拳は体がもう少し柔らかくなってからか……

2008-04-08

2008/04/07 (月) 消えた… 

 4月2日に、右手首下に打ち身の様なあざが出現した事を記録したが、一週間位かけて、ほぼ消失した。今回もいつもの様にどこかにぶつけてしまっていたのかもしれない。皮膚の変色している部分がちょっと大きめだったので記録してみたが、一日に一回位は「あ痛っ!」等と叫んでいる不注意者(それでも最近は少なくなってきたのだが)なので、この記録はちょっと余分だったかも……

 今後はこういった記録付けをせずに済む様に、物にぶつかったりしない様に注意した方がいいのかも?! (でも、いつも気が付けばどこかにぶつけて痛がっているのだが……)

2008/04/07 (月) 歯医者さん、Part 2

 3月24日に歯医者さんへ行った事を書いたが、今日はその2回目でK都迄行ってきた。桜はもう散ったかと思っていたら、まだ満開で、雨模様の中、道も混雑しておらず、よく車を走らせ桜見物していた疏水沿いや川端通りを選んで花見ドライブを楽しむ事が出来た。雨で散り始めた桜の花びらが道路を薄桃色に染めているのも、何とも美しい光景であった。

 さて、今回は上の歯の歯石(dental calculus)取りだったのだが、1時間程かけて歯科衛生士さんがまた丁寧に取ってくれた。その後、先生の診察があり、1ヶ所だけ昔の虫歯治療で埋めた銀色の詰め物の周りから少しだけ虫歯(carious tooth)になっているみたいだから治療します、と言って、私に鏡を持たせ、治療する問題の歯を見せ、問題部位を説明してくれた。確かに、よくよく目を凝らすと詰め物の周りがごく少々茶色くなっている様に見えなくもない、という程度であった。この先生はやはり、レントゲン写真(an X-ray (photograph)等撮らずに目視だけで虫歯確認である。

 昔は虫歯が出来ていないかと、1年に1~2回通っていた歯医者さんがあったが、ここは先生が高齢を理由に引退されてしまった。どこかいい所ないかと探していたが、知人に紹介して貰ったここは、私に合っているというか、気に入った。

 先生は虫歯をささっと治療して下さり、もう一度治療部位を鏡で見せてくれた。「わかりますか、この白い所ね…」。この先生は、古くなった銀色の詰物の下で、少しだけ進行した虫歯を治療後、歯と同じ色の白い詰物をしてくれるのである。当然保険適用範囲内である(私は詰物を白色にして貰うと、保険が効かず高額になると思っていた)。お陰で、昔の虫歯治療のギンギン銀色詰物が、この歯医者さんへ行く度に一本ずつ目立たない歯の色の詰物に変わっていく。前回の診察で虫歯はないと言われていたので、今回は、詰物交換はないだろうと思っていただけに、これまた、うれしかった。無理してでも自分の納得する、この歯医者さんまで来て良かったと思う。

追記(080411):実は一つだけ気になる点があり、歯科衛生士さんに訊いてみた事を書き留めておく。
それは前回、歯磨き指導、及び歯石除去後のブラッシングの時に使用した歯ブラシ(toothbrush)を終了時に貰えなかった(別に買い取りでいいのだが会計の時も何も渡されなかった)ので、『あれっ?』と思ったのだが、歯石取りはまだ上の歯の分が残っていたので、その時もう一度使うのかな、あるいは使い捨てかなと解釈してみていた。いや、実は信じたくないので、自分をそう納得させていたというのが本当かもしれない。ブラッシングに使用していた歯ブラシは一回で使い捨てるには余りにしっかりとした良いブラシに見えたからである。
そして今回2度目の歯石取りが終了してブラッシングして貰っている時に歯科衛生士さんに訊いてみた、「この歯ブラシはどうされるのですか?」と。答えはやはり、消毒(disinfection)してまた使う、という事だった。この歯科はレントゲン写真(an X-ray photograph)も最小限しか使っていない様なので、患者の支払い負担も随分とお安くなっていると思う。歯ブラシを個人持ちにさせていない事(消毒後再利用)もそのあらわれだと思う。が…、自分はいくら厳密に消毒され様と、使いまわしについてはとても不安を覚える(はっきり言って嫌である)ので、次回から、もしブラッシングの場面に出くわしたら、持参している自分の歯ブラシを差し出して、それでして下さいとお願いしてみようと思う。
たまたま私が前に長年通っていた(先生が高齢で引退した)歯科では、歯ブラシ指導後の歯ブラシは買い取りだったので、それが普通と思っていたのだが、歯科での歯ブラシの、消毒・使い回しはごく日常的にどこの歯医者さんでも行われているのかもしれない、と今回改めて認識させられた次第であった。
参考:
2006-06-27 (火) 歯ブラシ事件』、『2006: 歯ブラシ事件補足

2008/04/07 (月) ネコのタマ

 K都に行った折、少しだけ時間があったので、猫に会いに行った。もう随分会っていない。母が病に伏してから飼いたいと言い出して、貰ってきた仔だ。母亡き後、未だ入院中で生モノ・動物禁止中だった私には飼えなかった。この仔を連れてきた人が引き取ってくれた。入院中に母が亡くなり、母の可愛がっていたこの仔までいなくなってしまうのが辛くて辛くて、病院のベッドで独り、涙を堪えていたのを思い出す。

 私を覚えているのかいないのか、近づくとちょっと距離を置いて、ビデオデッキの角で顔をスリスリしている。もともと抱かれるのが嫌いな仔だったが、母が就寝する時は明け方に母の眠りを邪魔しない様にと、どんだけ逃げ回ろうと私が捕まえて、下の台所へ連れて行くのが日課だった。母の部屋では冷たい仔だったが、母就寝後は台所でこの仔としばし遊んだり、撫でてゴロゴロと言わせるのが楽しみだった。今日も、昔の様に有無を言わさず抱き上げ、ちょっとだけぎゅっと抱きしめてきた。

 すっかり、ここのおうちの仔になったね。君は幸せかい?

2008-04-06

2008/04/06(日) 深夜族?

 この頃、生活リズムが少し深夜へずれてきた。夜に濃い緑茶を飲んでいた(カフェインの)せいだろうかと思って、夜の緑茶を控えてみても上手くいかない。少しずつ元に戻さねばと思って早く床に就いてもなかなか眠れず、そういう時に限って非常に早く目が覚めてしまう。そのまま起床したらいいと思うのには余りに早過ぎる午前4時とか5時とか、そんな感じ。何か緊張しているか、気が立っているのだろうか? どう工夫すればよいのだろう? そんな事の繰り返しなので、最近はどうしても眠れない時は真夜中であろうと一旦起きて、何か雑用をして寝直す事にしてみているのだが。

2008-04-03

2008/04/02(水) 癌発病後の医療保険について

 保険会社のCMが流れる度に、自分が現在加入可能な、がん保険や医療保険(medical insurance)があるのかについて気になっていた。よく加入条件に、5年以上過去に癌(cancer)に罹った事がない人、というのを聞いた事があるのだが、自分の場合はどの時点から、この5年が始まるのだろうかと、2月25日の通院日の折、先生に訊いてみると、(癌を切除した訳でもないので)現時点では『完治(complete recovery;complete cure)』ではなく、『寛解(remission)』になると言われている。これは内心、予想していた通りの返答ではあった。

 前から一度、調べてみようと思ってはいたのだが、もしかしたら保険会社によっては、入れるものもあるかもしれないと、取り敢えずネットで検索し、有名どころの外資系保険会社、3社(“ア…”から始まる会社が多いなぁと思いつつ)等に次と電話をかけて聞いてみた。

 結果は惨敗、現時点で入れる保険は一つも無かった。どの社も色々と調べて丁寧に回答してくれたのだが、一旦ガンと診断された人にお勧め出来る商品はないと教えられた。5年無病であろうが、10年経とうが無理らしい。

 ところで、我が家ではかつて、生命保険(life insurance; life assurance)は誰にも一切掛けないというのがポリシーの様であった。しかし、母は高齢になってきた時に自身の今後の事を考え、怪我とかで入院(hospitalization)した時に保証がある保険を掛け、唯一同居していた私にも万が一に備え、掛けていてくれていた。「病気や外出時の事故だけでなく、たとえ家の中で起きた怪我で入院しても、保険で少しは戻ってくるから覚えておきなさい」、と良く言い聞かされていたが、その時はハイハイとだけ答えていた。母は昔から何かと“勘”の強い人であったので、保険を掛けられたという事を却って無視したいという気持ちが自分の何処かにあったのだと思う。母はその後、入院で何回かその保険のお世話になり、保険の満期の少し前に、天に召されていった。そして私は思わぬ大病を患ってしまい、初めて保険のお世話になり、保険の有り難さを知ったのであった。

 まだまだ先の事だが、母が掛けてくれていた私の保険にも満期日がある(母が掛けてくれていた私の保険にも満期日がある(今は私が引き継いでいる)。そして、実際この病気になってみると、今後もし再発したら、一人で闘病していくには、もう少し、保険があった方が、精神的に安心と思ってしまう様になった。そこで、今日改めて何社かに問い合わせてみたのだが、現在入れる保険がないと知って非常に残念であった。しかし、もし母が掛けてくれた保険も無かったら、きっともっと落胆していただろうと思うと、改めて、亡き母の勘の鋭さに驚ろくと共に、私にも保険を掛けていてくれた事を今更ながらに感謝している。

 話は戻るが、各保険会社には更に、どんな類でもいいので医療保険関係で入れるものは一つも無いのかと聞くと、無審査、無申告で入れる保険が一つある(つまり、癌の罹病者でも、医師の診断書や自己申告も不要で加入出来る保険だそうだ)、と答えた会社があった。「それは?」と聞くと、55歳以上の人を対象にした保険であった。面白い事に、こことは別のもう一つの会社でも似た様な保険があり、それも55歳以上が対象であった。しかしこれも年齢的に、10年経過しても、まだ加入出来ない。。。少しため息が出たが、逆に考えると、10年以上も無病で過ごせたら、それこそ先生から『完治した』と太鼓判を押して貰える事になっているではないか、と考えてみた。そうなっている事を祈ろう♪


  しかし、どうして55歳以上なのだろう??

2008-04-02

2008/04/02(水) ん? ぶつけた? 

 今晩、右手首下が変色しているのを見つけた。内出血している訳でもないし、押さえても痛くないので、汚れかと思い、石ケンで洗ってみたが、そうではないらしい。入院後に出来たと思われる小さな黒いホクロの丁度上あたりに、親指大の大きさで、何だろう、茶色とも言えず、本当に汚れの様な色合いなのだが。念の為に上腕や太ももなども点検してみたが、異常なし。もともとよく色んな所にぶつけてしまうタイプなので、発病前のシグナル(内出血(internal bleeding))等にも、「またどこかでぶつけちゃったのかな?」程度にしか認識していなかった。

  と言うわけで、一応記録しておく。ちなみに昨日で、無事、移植(transplantation) Day 510日を迎える事が出来た。

2008-04-01

080401(火) アッツザクラ

 2つ隣の町に住んでおられる伯母(母のすぐ上の姉)に、日曜日に貰ったお菓子等をおすそ分けしに行こうと思い立ち、今年最初に咲いた、亡き母の育てていた蘭の花も切り花にして車に乗り込んだ。

 取り敢えず目的地の近くまで、まだ馴染んでいないこの土地の風景を眺めながら、運転していく事にした。あちらこちらで桜が結構綺麗に咲いている。面白そうなお店も発見する。ちょっと渋滞していて、ちょっと迷って、小一時間程かかってようやく伯母の家にたどりつく。出発前に電話をしたが、その時は不在だった。もしお留守でも、玄関先にお花とお菓子を置いて帰ろうと思っていた。しかし幸運にも帰宅したばかりという伯母に会え、伯母も喜んで下さった。

 この伯母はとても優しい人で、私の退院後も未だに『元気にしている?』と何週間に一回か、電話をかけてきて下さり、それがとてもうれしく、どれだけ励まされている事か(伯母様もご主人の具合が悪く、色々大変と聞いているのだが)。亡き母も、この伯母の事は、本当に心優しい人と口癖の様に言っていたのを思い出す。いつも励まされてばかりなので、今日は母の蘭の花を届けたく、訪ねてみたのだった。

 本当に久しぶりにおとずれた伯母の家(母と一緒に車で行った記憶しかないから、前回訪問からもう随分と経つ事になる)の前には小さな白いお花が一面に咲いていた。余りに可愛らしいので何という名前かと聞くと『アッツザクラ』という。名前は聞いた事があるが、それがこの花の事とは知らなかった。見れば見る程、可憐な草花なので、ベランダの植物の仲間に加えたく思い、伯母にお願いして、その株を分けて貰う事にした。伯母は日陰に生えている、まだ花の咲いていない株を掘ってくれ、ついでに桜やレンギョウの枝も数本折って下さった。


  立ち話少々だけで失礼したのだが、ビルに戻った後、瓶に桜とレンギョウを生けたら、台所が一気に春爛漫。またまた叔母から元気を頂いてしまった。