2008/06/06 (金) 青蓮院
日にちは前後するが、先週、ひょんな事からK都の青蓮院を拝観する機会を得た。友人から頼まれ、生まれて初めてのコンサートの受け付け手伝いをする事になり、受け付け開始まで時間があったので、それが始まる前の小一時間ばかり、真向かいにある青蓮院を拝観してみたのだ。確か、まだ小さい頃、父に連れられて行った事があり、緑が綺麗だったという記憶がある。
昔から新緑の季節は大好きで、特にお気に入りは、鴨川の上賀茂神社へ至る道の、夢見る様に芽吹き始めた頃の木々(街路樹)で、新緑の季節になると、よくドライブしたものだった。3月末の緊急入院後、第一段階の化学療法を終え、やっと外泊許可が出た折、迎えに来てくれた次姉に頼んで、家に帰る前にドライブして貰った時は、誰にも言わなかったが、治療や今後の不安(来年は果たして見られるかどうか分からないという思い)から、涙で滲んで、よく見えなかったっけ。
青蓮院の内部や庭は全然覚えていなかったが、木々はまだ新緑に包まれ、とても美しかった。内部は国宝(不動明王画像)のあるところも含め、どの部屋(間)も大きく戸が開け放たれており、国宝のある所だけお坊さんがおられ、何やらお仕事をされていた。どの間もなかなか渋くて私の好みであったが、薄暗い所にほのかに見える、いかにも古そうな不動明王画像は、特に額縁に入れられるわけでなく、K都なのに湿気でカビたりしてしまわないだろうか、と勝手に心配ながら、その前に私が佇んでいると(その時はまだ国宝とは知らなかった)、そのお坊さんが色々とお話をして下さったので、しばし休憩。
その後、庭園を散策するコースになっており、順路に沿って庭から建物を見たり、庭を見たり。池では、とても大きな錦鯉がゆったりと泳いでいたので、つい、かしわ手の様に手を打って鯉を呼び寄せてみたりした。昔みたいに触ってみたかったが、そこは我慢。K都ではこんなに緑が、寺院に限らずあちらこちらにあるのに、いま住んでいる所は圧倒的に緑が少ないのがさびしい(まだ近辺を良く知らないせいもあるのだが)。だから、と、一杯新緑を楽しむ。
敷地内に作られた小路を上ると、小さな石の鳥居があった。鳥居には小石が一杯のっていて、今にもこぼれ落ちそうな所もある。最近の人は何故小石がのっているのか知っているだろうか? これは願掛けなのだと、幼い頃、母親から教えて貰った事がある。鳥居の下から願いを込めて小石を上へ放り投げ、鳥居にひょいっとのっける事が出来たら願いが叶う、のらなかったり、既にのっている石を自分の投げた石で落してしまったりすると願いは叶わないのだそうだ。それを聞いてからは、鳥居を見つけると石を放ってのっけたくなり(背伸びして手の届く様な小さな鳥居でも、とにかく放り上げて載せなければ願掛けにならないとも聞いていた)、万が一、先に他の人がのせた石を落してしまった場合は、その石ももう一度鳥居にのるまで、放り上げ…、子どもにとって、格好のお遊びだったのかもしれない。また鳥居に石をのせてみたいという衝動に駆られつつも、今回はおとなしく止めておく事にした。。。
ある夏休み等は毎朝ラジオ体操をしに神社へ行く度に、入口の大鳥居に小石がのっかる迄、放り続けるのを日課としていたものだ。その近所にある神社の鳥居はこの写真の鳥居とは違い、非常に高く、当時の自分の身長の4~5倍位あったと思う。つまり、石をのせるのにかなり苦労した…… そしてその夏は、神社の他に、お地蔵さまにも西洋の神様にもお祈りをしたのを思い出す。一体何をそんなに熱心に願掛けしたって? 今を思えば、実に小学生の子供らしい無邪気なお願いだった。そして、(あちこちの神様にお願いしていたので)どこの神様かは知らないけれど、その願いは見事叶えて下さった。
昔から新緑の季節は大好きで、特にお気に入りは、鴨川の上賀茂神社へ至る道の、夢見る様に芽吹き始めた頃の木々(街路樹)で、新緑の季節になると、よくドライブしたものだった。3月末の緊急入院後、第一段階の化学療法を終え、やっと外泊許可が出た折、迎えに来てくれた次姉に頼んで、家に帰る前にドライブして貰った時は、誰にも言わなかったが、治療や今後の不安(来年は果たして見られるかどうか分からないという思い)から、涙で滲んで、よく見えなかったっけ。
青蓮院の内部や庭は全然覚えていなかったが、木々はまだ新緑に包まれ、とても美しかった。内部は国宝(不動明王画像)のあるところも含め、どの部屋(間)も大きく戸が開け放たれており、国宝のある所だけお坊さんがおられ、何やらお仕事をされていた。どの間もなかなか渋くて私の好みであったが、薄暗い所にほのかに見える、いかにも古そうな不動明王画像は、特に額縁に入れられるわけでなく、K都なのに湿気でカビたりしてしまわないだろうか、と勝手に心配ながら、その前に私が佇んでいると(その時はまだ国宝とは知らなかった)、そのお坊さんが色々とお話をして下さったので、しばし休憩。
その後、庭園を散策するコースになっており、順路に沿って庭から建物を見たり、庭を見たり。池では、とても大きな錦鯉がゆったりと泳いでいたので、つい、かしわ手の様に手を打って鯉を呼び寄せてみたりした。昔みたいに触ってみたかったが、そこは我慢。K都ではこんなに緑が、寺院に限らずあちらこちらにあるのに、いま住んでいる所は圧倒的に緑が少ないのがさびしい(まだ近辺を良く知らないせいもあるのだが)。だから、と、一杯新緑を楽しむ。
敷地内に作られた小路を上ると、小さな石の鳥居があった。鳥居には小石が一杯のっていて、今にもこぼれ落ちそうな所もある。最近の人は何故小石がのっているのか知っているだろうか? これは願掛けなのだと、幼い頃、母親から教えて貰った事がある。鳥居の下から願いを込めて小石を上へ放り投げ、鳥居にひょいっとのっける事が出来たら願いが叶う、のらなかったり、既にのっている石を自分の投げた石で落してしまったりすると願いは叶わないのだそうだ。それを聞いてからは、鳥居を見つけると石を放ってのっけたくなり(背伸びして手の届く様な小さな鳥居でも、とにかく放り上げて載せなければ願掛けにならないとも聞いていた)、万が一、先に他の人がのせた石を落してしまった場合は、その石ももう一度鳥居にのるまで、放り上げ…、子どもにとって、格好のお遊びだったのかもしれない。また鳥居に石をのせてみたいという衝動に駆られつつも、今回はおとなしく止めておく事にした。。。
ある夏休み等は毎朝ラジオ体操をしに神社へ行く度に、入口の大鳥居に小石がのっかる迄、放り続けるのを日課としていたものだ。その近所にある神社の鳥居はこの写真の鳥居とは違い、非常に高く、当時の自分の身長の4~5倍位あったと思う。つまり、石をのせるのにかなり苦労した…… そしてその夏は、神社の他に、お地蔵さまにも西洋の神様にもお祈りをしたのを思い出す。一体何をそんなに熱心に願掛けしたって? 今を思えば、実に小学生の子供らしい無邪気なお願いだった。そして、(あちこちの神様にお願いしていたので)どこの神様かは知らないけれど、その願いは見事叶えて下さった。
どんなに願ってもお祈りしても、叶わない事は当然多々あると、分かってはいるが、そんな経験があったので、願掛けや御百度参りとかは、あながち嘘、迷信とも言い切れないな、と思っている。
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